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藤井聡太八冠誕生、「観る将」が流行語に…“将棋の伝え方”はどう変わった? 野月浩貴八段が語る進化の歴史「米長会長とたくさん喧嘩を(笑)」

posted2023/12/07 11:02

 
藤井聡太八冠誕生、「観る将」が流行語に…“将棋の伝え方”はどう変わった? 野月浩貴八段が語る進化の歴史「米長会長とたくさん喧嘩を(笑)」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

黎明期から将棋のネット中継・配信に携わってきた野月浩貴八段。「観る将」が流行語となるまでには、さまざまな苦労や試行錯誤があった

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いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

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Shiro Miyake

藤井聡太八冠の誕生を受けて、かつてない盛り上がりを見せている将棋界。だが、新語・流行語大賞にもノミネートされた「観る将」が広く定着するまでには、棋士や裏方たちの知られざる努力があった。Ustream、ニコニコ生放送、そしてABEMA将棋チャンネルと、黎明期から将棋のネット中継に携わり、将棋の魅力を伝えてきた野月浩貴八段に話を聞いた。(全3回の3回目/#1#2へ)※文中敬称略

歴史を変えた「羽生善治対藤井猛」配信の裏側

 5年前の2018年、将棋界は八大タイトルを8人で分け合っていた。

 いわゆる「群雄割拠」と言われていた時代である。そして2023年10月、全てのタイトルを藤井聡太八冠が独占する「藤井一強時代」となった。

 タイトル独占は、7タイトル制だった1996年に羽生善治が達成した七冠制覇以来である。ただ将棋界を取り巻く状況に関していえば、27年前と大きく変わったものがある。

 それが対局の観戦環境だ。

 羽生七冠の誕生時は、まだインターネットが普及する前の時代だった。当時は竜王戦や名人戦の一部がNHK-BSで中継されていたくらいで、現地や将棋会館での大盤解説会に足を運ばなければ解説を聞くこともできなかった。つまり、将棋ファンがタイトル戦を観て楽しめる環境はごく限られていたのだ。将棋はあくまでも「指す」ものであり、「観る」という層は決して多くなかったのである。

 現在は違う。ネット中継が普及したことで、将棋観戦を趣味として楽しむファンが急増した。今年の新語・流行語大賞に「藤井八冠」とともに「観る将」という言葉がノミネートされ、ベスト10入りを果たしたほどである。そこに至るまでには、快適な中継環境を整え、将棋を広く伝えようとする側の努力があった。

 野月浩貴八段は、その土壌作りに取り組んできた棋士の先駆者だ。

 公式戦対局におけるネット中継の始まりは、2010年のUstreamでのライブストリーミング配信である。第58期王座戦五番勝負の羽生善治王座対藤井猛九段の第2局で行われ、これを実現させたのが野月だった。将棋連盟の米長邦雄会長と新聞社に「実験的にやらせてほしい」と掛け合ったのだという。

 Ustreamの配信を行った当時のことを、野月が振り返ってくれた。

「当時は動画配信のコンテンツが少しずつ出始めたころだったので、将棋界でも『何かやってみようよ』という形になったんです」

 実験的な企画だったため、周囲からの手厚いサポートがあったわけではない。いわゆる“手弁当”で始めた配信だった。

【次ページ】 「米長会長とはたくさん喧嘩しました(笑)」

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