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「ばかやろう、何やらせているんだ!」井上尚弥の世界戦で大橋会長が激怒…ジャッジの胸を打った「必ず無事にリングから降ろす」ことへの思い
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2023/11/17 11:07
2016年12月30日、王者・井上尚弥と挑戦者・河野公平によるWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ。中村勝彦は同試合のジャッジを担当した
「ばかやろう、何やらせているんだ!」大橋会長の怒声
勝利を確信した井上はコーナーの2段目まで上がり、ガッツポーズをしている。河野はうつろな目で立ち上がったものの、まだファイティングポーズを取っていない。ところが、レフェリーは河野の両手を持ち、「ファイト!」と試合続行を宣言した。
「えっ、やらせるのか……」
中村は愕然とし、眉をひそめてレフェリーをもう一度見つめた。井上が距離を詰めて連打を放つ。中村の目の前に、河野が再び激しい倒れ方で落ちてきた。レフェリーはカウントをせずに試合を止めた。すると、井上のセコンドで大橋ジム会長の大橋秀行が血相を変えてリングに飛び込んできた。
「ばかやろう、何やらせているんだ!」
大橋はレフェリーに怒鳴り声を上げた。レフェリーは言葉を理解できなかったのか、威厳を保つためか、大橋の怒声を意に介さず、あしらうようなジェスチャーをした。
中村が振り返る。
「私はね、あの試合は大橋会長がすごく怒っていたのが印象に残っています。大橋会長が対戦相手の河野選手のところに来る必要はないのに、すごい表情で慌てて来たんです。結構アメリカのレフェリーは試合をやらせますから。世界戦だし、チャンスを与えるということだと思うんですけど、下手したら、事故になってもおかしくないですからね」
相手を倒す。だが、必ず無事にリングから降ろす。一見、矛盾するようだが、それがボクシング。敵も味方も関係ない。大橋の怒声と表情からその思いを感じ取った。
18年、5000試合以上に関わって訪れた大舞台
中村のスマートフォンの中には1枚の写真が入っている。40歳でレフェリーを始めた頃、ボクシング専門誌に掲載されたモノクロの写真。1978年2月15日、米ラスベガスで行われたWBC世界フェザー級タイトルマッチ、王者ダニー・ロペス(米国)vs.挑戦者デビッド・コティ(ガーナ)の一戦だった。2人の間にはメキシコの名レフェリー、ライムンド・ソリスが立ち、試合を裁いている。
「写真をコピーして、システム手帳の1ページ目に貼ったんです。こういう世界レベルの試合に関われるといいなと思いましてね。よく目標を紙に書くと実現するって言うじゃないですか。それと同じ。当時は何かあるとよくこの写真を見返していましたね」
レフェリーとして18年。5000試合以上に関わり、数え切れないほどのかさぶたをつくってきた。中村にも写真と同じ、大舞台がやってきた。