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プロ野球PRESSBACK NUMBER
KKドラフト“3日後”に桑田真澄から電話「東京に来ているんです」…PL学園OBが聞いた「清原が言うから、巨人に行きたいと言えなかった?」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/01 11:04
1985年ドラフト会議、巨人から1位指名された桑田真澄
「当時、球団事務所がその近くにあったんです。上京してきた目的や滞在期間を僕は何も聞かなかった。だって、僕には真澄が巨人に入団したいということは分かっていたから。『いたいだけいろ』とだけ伝えていた。もしかしたら女房は真澄といろいろ話していたかもしれないね。上京の理由? 世間が騒がしかったから、大阪を離れたかったんだろう」
いよいよ桑田が大阪に戻る日、得津は一点だけ確認した。
「真澄よ、清原があまりに『巨人、巨人、巨人』と言うから、お前自身が声を大にして『巨人に行きたい』とはとても言えなかったんだろ?」
桑田は短く、《はい、そうです》と答えたという。
「KKドラフトは悲劇でも事件でもない」
巨人と桑田との間で本当に密約はなかったのだろうか。そう得津に問うてみた。
「それはわからん。疑問符がつく。当時の巨人では何があってもおかしくなかった。巨人以外の11球団は、早稲田に行くと思っていた。巨人の可能性に気付いていたのは僕だけだった」
「でもね」と得津は口にし、こう続けた。
「僕からすれば、KKドラフトは悲劇でも事件でもなんでもない。清原が巨人を熱望したところで、必ず入れるとは限らないんだから。ドラフトにおいて、いくらスカウトから『必ず指名します』と言われていたとしても、指名されないなんてことはよくあること。少なくともドラフトにおいては誰の言葉も信用してはいけない。それが野球界という“大人の世界”です」
2019年に得津にとって恩人である金田正一が亡くなった。葬儀には妻と参列し、そこで桑田と久しぶりに再会した。
《奥さん、その節は有り難うございました》
34年前の喧騒の最中、心を落ち着ける静寂を与えてくれた夫婦への感謝を桑田は忘れていなかった。