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KKドラフト“3日後”に桑田真澄から電話「東京に来ているんです」…PL学園OBが聞いた「清原が言うから、巨人に行きたいと言えなかった?」 

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柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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posted2023/11/01 11:04

KKドラフト“3日後”に桑田真澄から電話「東京に来ているんです」…PL学園OBが聞いた「清原が言うから、巨人に行きたいと言えなかった?」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1985年ドラフト会議、巨人から1位指名された桑田真澄

あのドラフト会議を迎えるまで

 得津は、ドラフトの2カ月前に上京した桑田と神宮球場の喫茶店で会っていた。早稲田大学対東京大学の試合を観戦するぐらいだから、桑田が早稲田に進学するつもりがあることは得津も知っていた。またある時は、青山学院大学の練習に体験参加する仲間と共に桑田が上京してきたこともあった。得津は桑田と井元と共に横浜港に係留されている氷川丸に乗船し、船上で一枚の紙を渡した。そこには、もしロッテに桑田や清原が入団した時の契約金と年俸が書かれていた。

「真澄と清原の契約金は、当時の高校生としては前例がない8000万円でした。もちろん、ドラフト前の交渉のようなものではなく、あくまでプロとしての評価を伝えたまでです。僕は真澄に嘘はつかない。だからそれ以来、真澄は僕を信用してくれた」

 誰しもが桑田は早稲田に進学すると思っていた。そうした状況で、得津はプロとしての評価を桑田に伝えた。次第に桑田の希望がプロ入り、いや、巨人入りに傾いていくのを得津は察していた。

会議3日後、桑田が上京「いたいだけいろ」

 ドラフト会議が行われた11月20日、得津も会場となった東京・飯田橋のグランドパレスに出向きロッテに用意された円卓を囲んだ。巨人が桑田を指名する。思わず、得津は巨人の円卓に目を向けた。そこには息子がPL学園の1年生だった巨人スカウトの伊藤菊雄がいて、得津は目が合った。何やらジェスチャーで訴えてくる。

「大変なことになっちゃってすみません、というようなジェスチャーだった。当時のジャイアンツは、ドラフト当日の朝、正力亨オーナーが1位指名選手を決定していた。伊藤さんにとっても、青天の霹靂だったのかもしれない」

 ドラフト会議の3日後、桑田は単身で上京し、得津に電話を入れた。《東京に来ているんです》という桑田に対し、得津は「山手線の新大久保駅で待っていろ」と伝えた。

【次ページ】 「KKドラフトは悲劇でも事件でもない」

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