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「日本シリーズは怖い」元阪神・下柳剛が振り返る“王手”から届かなかった“あと1勝”「あそこは伊良部で…」〈03年ダイエーとの死闘〉
posted2023/10/31 11:04
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
SANKEI SHIMBUN
あれから20年がたった。下柳剛の無精ひげに白いものが交じるようになった。日本シリーズを戦う阪神の後輩たちの雄姿を見ては、かつて2度の挑戦で敗れ去った現役時代を思い出す。届きそうで届かなかった日本一までの「あと1勝」がいかに遠かったか。星野仙一が監督として率いた2003年の敗北には特別な感慨がある。
“情の人”星野監督の伊良部起用
「あそこは伊良部でよかったんじゃないかな」
ダイエー(現ソフトバンク)に3勝2敗で王手をかけ、第6戦の大役を任された伊良部秀輝のことである。1回、走者に気をとられて、いきなり井口資仁に先制2ランを浴びた。出端をくじかれ、リズムをつかめないまま敗れた。第7戦も一方的に負けて日本一を逃すと、不振の伊良部を先発させた星野の用兵に異を唱える声が噴出した。
「あの時はもう、伊良部の癖がバレてるという話になっていた。でも、情に厚いからね、あの人。“優勝できたのは伊良部のおかげ。シーズンを頑張った選手を使うんだ”という思いがあったんじゃないかな」
今は亡き師と友に思いをはせる。伊良部は同じ03年に加入した移籍組だった。背番号も年齢も1つ下で、よく一緒にいた。悪態をついて「悪童」とありがたくないレッテルを貼られた男の本心を知っていた。投球への探究心が人一倍強く、話し出したら止まらない。あの年、彼の13勝が18年ぶりの優勝を後押しした。下柳にとって一目置く存在だったから、先発起用も納得できた。
阪神の日本一は1985年の1度だけである。伊良部が登板したあの日は、暗黒時代を乗り越え、日本一にもっとも近づいた日だった。それは直前の第5戦に先発した下柳の力投が引き寄せた機運で、最高潮に達していた。日本一に王手——。あれからずいぶんの時がたったが、あの日々ほど、ナインにとって、ファンにとって希望に満ちた日はない。