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「日本シリーズは怖い」元阪神・下柳剛が振り返る“王手”から届かなかった“あと1勝”「あそこは伊良部で…」〈03年ダイエーとの死闘〉
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/10/31 11:04
恩師である星野監督と下柳。深い信頼関係で結ばれていた
第5戦、vs斉藤和巳
今年6月の甲子園。阪神戦を訪れた下柳のもとに歩み寄る男がいた。ソフトバンクの投手コーチを務める斉藤和巳である。彼の顔を見ると、下柳はいつも血が騒ぐ。
笑いながら斉藤に言った。
「あの時、俺は勝つと思ったよ」
20年前の記憶である。かつての鷹の大エースも苦笑いを浮かべるしかなかった。
下柳と斉藤。ふたりが火花を散らしたのは03年10月24日だった。2勝2敗で迎えた第5戦。20勝右腕で25歳のエース斉藤と対峙し、35歳だった下柳も老練なピッチングで踏ん張っていた。
劣勢の阪神に流れが傾き始めたのは1点ビハインドの5回表だ。下柳は先頭の鳥越裕介に四球を与え、打席の斉藤と向き合っていた。思わず目を疑った。送りバントを警戒していたら、斉藤が打ってきた。胸をなでおろした。斉藤が打ったゴロは遊撃を守る藤本敦士の前へ。意のままに併殺打を完成させ、敵将である王貞治の攻めの采配が裏目に出た。
「この試合、勝つわ」
窮地を脱した下柳には強い予感があった。
「セオリー通りに送りバントをしてこなかったからね。送られれば、あれだけの強力な上位打線に回る。その方が嫌だった。あれが勝負の綾になった。ゲッツーを打った時に“この試合、勝つわ。これで日本一になれる”と確信したよ」
下柳にとってダイエーは91年にプロ人生をスタートさせた球団である。若い頃からタフさが売りで「アイアン・ホーク」と呼ばれた。先発や中継ぎで奮闘したが、95年オフにトレードで日本ハムに放出された。だからこそ、この大舞台には特別な感情があった。
「トレードで出された時の監督だったからね。目の前で勝ちたい、優勝したいという思いがあったんだ」
下柳は年齢を重ねると球威で押す剛腕から、打たせて取る技巧派に転身していった。変わることを恐れず、ベテランになってから息の長い選手として活躍した。03年は、移籍1年目から先発として初めてシーズン10勝を達成していた。