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「日本シリーズは怖い」元阪神・下柳剛が振り返る“王手”から届かなかった“あと1勝”「あそこは伊良部で…」〈03年ダイエーとの死闘〉
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/10/31 11:04
恩師である星野監督と下柳。深い信頼関係で結ばれていた
福岡ドームで連敗して悲願に届かず、道の険しさを思い知らされた。掴んだはずの勝ち運は直前でするりと逃げていった。03年は両球団が本拠地だけで勝ち「内弁慶シリーズ」と言われた。阪神は05年も監督の岡田彰布の下で日本シリーズに出場したが4戦全敗。下柳も先発したがロッテの勢いを止められず、「日本一」と無縁のまま、やがてチームを去った。
20年を経た今、明かせること…
ここまで書き進め、それにしても、と思う。目の前で話す下柳はいつになく饒舌で現役時代とまったく異なっているのはなぜだろう。20年前は誰よりも無口で、メディアを遠ざけていた。威圧感を漂わせるサウスポーを前に、熟練の記者はコメントを取るのを諦め、若い記者は恐れて近づけなかった。歳月の長さが心残りをどこかに洗い流したのだろうか。いや、違う。いまも「悔しゅうて、悔しゅうて」と振り返る。優勝旅行に行かず、練習していたくらいだった。それなのに、すがすがしい表情で語るのが不思議だった。確かによく戦い抜いた。目の前で話していたのは、美しき敗者だったのだ。
下柳は阪神でプレーした後、楽天で監督をしていた星野に誘われる形で移籍し、12年にユニホームを脱いだ。退団の挨拶に行くと、星野に感謝された。
「2003年に優勝させてもらったメンバーやんか、お前は」
下柳が言葉の端々から感じたことがある。星野ははっきりと言わなかったが、03年にとり逃した日本一への「未練」をにじませていたという。
「まだ日本一になる前でね。あの2003年の優勝をすごく大事にしていた」
星野が楽天で悲願の日本一に輝くのは、その1年後だった。ダイエーに敗れてから10年がたっていた。本当に掴みたいものは長く歩んできた道の先にあった。