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「もっと藤井さんと話せばよかった」男子バレー“パリ五輪切符”涙の舞台ウラ…どん底だったあの夜、チームを救った“もう一人の選手”
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/08 11:30
今年3月に他界した藤井さんのユニフォームを着てインタビューに応じるセッター関田誠大。大きなプレッシャーを背負いながら、多彩な攻撃陣を操った
パリ五輪の出場を決めたスロベニア戦も共に戦い、集合写真の中央に収まった背番号3のユニフォームは、実はトルコ戦を終えた後に同じ東レのチームメイトだった富田将馬が夫人の美弥さん(元女子バレーボール日本代表)に依頼したものだった。
「東レでもベンチで掲げて一緒に戦ってきたように、日本代表でも藤井さんと一緒に戦わせてくれませんか?」
美弥さんから手渡されたユニフォームと共に「心はひとつ」で戦い抜き、念願のパリ五輪の切符をつかんだ。集合写真の中央から『っしゃー! やったぞー!』と藤井の甲高い声が聞こえてきそうな中、「絶対(ユニフォームに近い)センターを取りたかった」と高橋健太郎が笑う。
「藤井さんが僕をここに連れてきてくれた。感謝しかないし、『だから代表にいろって言ったろうがよ。お前、自分の道削りすぎだよ。諦めんじゃねーよ』って言っていたんじゃないですかね」
東京五輪で最終選考から漏れた時、実はもうバレーボールを辞めようと考えていた。だが、そこで諦めないことの大切さを教えてくれたのも藤井だった。
高橋藍に続き、4番目に登場したコートインタビューに立った関田は、藤井のユニフォームを着ていた。
関田に「これ、着ていいかな」と尋ねられた高橋健太郎も「着ろよ」と即答。言葉を詰まらせながら発した言葉と、重ねたユニフォームには関田の思いがすべて、込められていた。
「この大会、僕は特に藤井さんの存在が大きかったです。たまたま特集をやっていて、それを見て、また頑張ろうと思える気持ちになれた。『支えてくれてありがとう』という気持ちで、(藤井のユニフォームを着て)インタビューに応えました」
「メダルを狙えるチームになった」
大きな目標を成し遂げ、いざ、パリ五輪へ。
3位に輝いたネーションズリーグや優勝を果たしたアジア選手権では、「勝つ自信」を得た。そして五輪予選では、逆境も諦めず、苦しさを乗り越えて「勝ち取る経験」も加わった。
さらに強さを増した日本代表が見据えるのはもっと先。五輪はもはや、出ることが目的ではなく、メダルを取ること。涙を流し終えた石川が力強く言った。
「今回の五輪予選を勝ち切り、メダルを狙えるチームになった。また1つ、ステージが上がったと思います」
紛れもなく強く、誇るべき我らの日本代表。その中心には、いつまでも笑顔で『頑張れよ』『諦めるな』『勝てるぞ』と走り回りながら笑い、叫んでいるであろうかけがえのない仲間がいる。
これまでではなく、これからも共に。
藤井さん、やったね!