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「もっと藤井さんと話せばよかった」男子バレー“パリ五輪切符”涙の舞台ウラ…どん底だったあの夜、チームを救った“もう一人の選手”
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/08 11:30
今年3月に他界した藤井さんのユニフォームを着てインタビューに応じるセッター関田誠大。大きなプレッシャーを背負いながら、多彩な攻撃陣を操った
ストレート勝ちしたスロベニア戦も、決して楽な戦いだったわけではない。
日本戦の前にアメリカがセルビアに勝利したため、日本がこの試合にセットカウント3対0で勝利すれば五輪出場が決まる。とはいえ、スロベニアも初の五輪出場をかけた戦いであり、後がない状況に変わりはない。
そのプレッシャーがマイナスに出たのは日本のほうだった。
第1セットの立ち上がりからミスが続き、1対5と先行を許した。劣勢が続く中、フィリップ・ブラン監督はタイムを要求。反撃のスタートは高橋健太郎、小野寺太志の両ミドルブロッカーによる3本のブロックだった。五輪予選まで課題とされてきたブロックが最も重要な場面で発揮されると、その後も高橋藍のサービスエースなどで追い上げ、そして一気に流れを引き寄せたのが石川のスパイク。
大会前のコンディション不良で本来のパフォーマンスができずに苦しんだ石川だったが、何が何でも取らなければならない場面でついに本領発揮。ターゲットを着実に狙った関田のサーブから、ブロッカー陣とリベロの山本智大が連動したディフェンスでつなぎ、最後は石川が決めた。強打ばかりでなく軟打も織り交ぜた攻撃で連続得点を挙げ、18対16と日本が逆転した。
1セットを取られた時点でこの日の五輪決定は持ち越され、最終日にスロベニアがセルビアに勝利すれば、日本の五輪出場が潰える可能性すらあった。石川はそんな嫌な空気を払拭する、まさに主将の仕事を果たしたが、本人の見解は異なる。
「(4連続ポイントは)結果的に最後は自分が決めましたが、拾ってくれた選手、トスを上げてくれた選手がいるからできたこと。仲間、チームに助けられて点数を取ることができました」
五輪予選の重圧「プレーすることが怖った」
主導権を握った日本は、第1、2セットともに追い上げられてもスロベニアを突き放した。セット中盤、終盤に強さを発揮し、昨夏の世界選手権ベスト4の難敵を21点・22点・18点で抑えた。このストレート勝ちは“完勝”としても異論はない。
だが、コートに立つ選手たちにとっては違う。最後の最後まで苦しかった、と明かしたのは勝利の直後、コートで涙を見せた小野寺だ。
「オリンピックは特別な大会。余裕を持って今までやっていたのが嘘みたいに、緊張していました。こんなに苦しい大会は初めて。プレーすることが怖かったです」
劣勢でも攻勢でも表情を変えることなく、むしろメダル獲得に歓喜したネーションズリーグの時ですら「冷静に見ていた」と笑っていた小野寺でも、極限まで追い込まれていた。エジプト戦が終わった後から常に「負けられない」とのしかかるプレッシャーの大きさは計り知れない。
1つも負けられない逆境をはねのけることができるのか。不安に苛まれる中、戦う勇気を与えてくれたのが藤井の存在だった。