ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「会社からはいろいろ言われましたけど…」タブーを破った男の告白…オカダ・カズチカはあの日、なぜアントニオ猪木の名を叫んだのか?
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/10/05 11:00
映画『アントニオ猪木をさがして』にも出演しているオカダ・カズチカ
猪木の死は「やっぱり悔しかったですね」
「あとは、試合を観た上で『こんなんじゃダメだ!』って僕は言ってほしかったんですよ。やっぱり猪木さんならそう簡単に合格点は出さず『ダメだ!』って言うんじゃないかと思いますし。ダメ出しすることで、僕らに課題をくれるんじゃないかなと。他のOBの方々から『俺らの時代に比べて今の新日本は……』とか言われても僕には何も響かないというか、『あっ、そうっすか』みたいな感じになっちゃうんですけど。猪木さんに言われたら、たとえそれが辛辣な言葉だとしても、僕らがまた考えてやっていくきっかけになると思うんですよ。それぐらいのレジェンドなので。
一時は悪化していた新日本と猪木さんの関係も徐々に改善していって、あとは体調さえ良くなれば猪木さんに来ていただけるんじゃないかと思っていたんです。そんな期待が持てた矢先に旅立たれてしまったので、やっぱり悔しかったですね」
猪木は2005年に新日本プロレスのオーナーの座から退き、2007年には自身が主宰するプロレス・格闘技団体「IGF」を旗揚げすると、猪木と新日本の関係は悪化。新日本が“脱・猪木”路線で団体再建を目指したこともあり、長らく創設者である猪木との関係は断裂したままだった。
「会社からはいろいろ言われましたけど…」オカダの告白
そんな中でオカダは、そういった現状を打破するための行動に出たことがある。2020年2月2日、新日本プロレス札幌大会のメインイベント終了後、オカダはマイクを握ると「僕が今、気になっている人のことを言わせてください……」と語り始め、「アントニオ猪木――ッ!」と絶叫。新日本内で長らくタブー視されていた感もあった「猪木」の名を口にしたことで、場内は騒然となった。あの時、猪木の名を叫んだ真意をオカダはこう語る。
「あの頃からすでに『猪木さんに会場に来ていただきたい』という思いがあったんですよ。でも、会社に僕が『猪木さんに来ていただきたいんです』と言ったところで、ストレートに事は進まないだろうとも思っていた。以前、中邑(真輔)さんが(2009年9月27日の)神戸大会でIWGPヘビー級チャンピオンになったとき、リング上で猪木さんの名前を出したことがあったじゃないですか。僕はその時の会社のざわめき具合、マスコミのざわめき具合を若手の1人として見ているんで、猪木さんの名前は『言っちゃいけないぐらいの感じなんだ』って思い込んでいたんです」