将棋PRESSBACK NUMBER
アントニオ猪木は「将棋の五段免状取得」「内藤國雄九段と飲み仲間」…師匠・力道山も「遺影の横に三段免状」プロレスと棋士の意外な関係
posted2023/09/21 17:02
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
BUNGEISHUNJU
「燃える闘魂」ことプロレスラーのアントニオ猪木は、2022年10月1日に79歳で死去した。その一周忌法要が9月12日に神奈川県横浜市の総持寺で営まれ、多くの関係者が集まった。また、リング上で幾多の名勝負を繰り広げてきた足跡を偲び、10月にドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が公開される。猪木の人気はいまだに高く、伝説になりつつある。
実は、猪木は将棋を愛好していた。猪木と棋士の交流、棋士に指導を受けていた猪木の師匠の力道山、筆者のプロレス草創期の思い出などについて、田丸昇九段が記す。【文中敬称略】
78年、猪木に五段免状が寄贈されていた
アントニオ猪木が死去したおよそ1年前。プロレスラーとしての華々しい活躍、政治家としての猪木が1990年の湾岸戦争によって生じた日本人の人質をイラクから救出したことなどが、スポーツ紙で大きく報じられた。その紙面の片隅に、「猪木が将棋の五段免状を取得」という記事が載っていた。
調べてみると、1978年5月に棋士の花村元司九段を通じて、猪木に五段免状が寄贈されていた。日本将棋連盟が1980年に刊行した『有段者将棋名簿』には、「新日本プロレスリング代表取締役社長 猪木寛至」と、法人名と本名が載っていた。
花村九段は「東海の鬼」という異名がついた名棋士で、普及活動に熱心だった。その関係で猪木と知り合ったようだ。
猪木は、プロレス界のカリスマ的存在で絶大な人気があった力道山にスカウトされ、1960年に日本プロレスに17歳で入門した。その後、力道山の付き人を3年ほど務めた。力道山は、棋士に指導を受けるほど将棋を愛好していた。猪木は付き人の頃に将棋を覚えたようだ。力道山の将棋についてのエピソードは後述する。
藤波によると“猪木さんは立派な駒を持っていた”
猪木は、棋士の内藤國雄九段と交流があった。
内藤は熱狂的なプロレスファン。タイトル戦の立会人を務めたとき、対局を放っておいてテレビのプロレス番組に見入ったものだ。自身の「自在流」という棋風は、華麗な指し方が持ち味なので、プロレスの多彩な技に共感を覚えたのだろう。
内藤は猪木からボクシングのグローブをもらうと、自宅でサンドバッグをたたいて汗を流した。