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大谷翔平“手術をしない”選択肢も? 田中将大を靱帯損傷から復活させた「PRP療法」…コーチの決断「これからのマサは全力で投げる必要はない」
posted2023/09/04 17:01
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
Getty Images
『田中将大、日米通算197勝』
このニュースを目にし、200勝へと近づく田中の偉業に喜びを感じるとともにある記憶が蘇った。今からちょうど9年前の話になる。2014年8月下旬。ヤンキース・田中は右肘靱帯損傷から復帰を目指す過程にいた。
田中は7月上旬に右肘の異常を訴え、『要・トミー・ジョン手術』の診断結果を受けた。その後、セカンド、サードオピニオンを仰ぎ『PRP(多血小板血漿)療法』を選択。9月メジャー復帰のプランを掲げていた。
当時の狙いは15年シーズンからの完全復帰だったが、そのためには現状を把握し、現在地を知ることが重要だった。戦いの場に戻るプロセス、メジャーの試合で投げることで得る有形無形の財産を翌年へと繋げたい。チーム首脳と田中はそう考えていた。しかし、思うように進まない調整に表情を曇らせた。
「すべてのボールが全然…。何も良くなかった」
14年8月28日、デトロイト。負傷後初めて打者相手に投げた実戦練習後、彼はこう言った。
「すべてのボールが全然……。何も良くなかった。まだとてもじゃいないけど、(メジャーの試合で)投げられるとは思っていません」
このとき、意味は2つあると感じた。6週間もの間ノースローを命じられた体は、まだ投げるための準備が整っていない。そしてもうひとつ。新たに取り組んでいる右肘に負担をかけない投球フォームの習得もまだ程遠い状態。それは彼のこんな言葉から窺えた。
「僕が変えていこうとしてやってる部分なんで。変わってしまうっていうのは自分が意図してない部分でやってることなんで。僕は変えていってるから、他のところが変わっていくのは当然だと思いますし、その中でいいものを見つけて、僕は投げていくだけだと思います」
『変える』。この言葉を聞き、彼がなぜ「トミー・ジョン手術」を選択しなかったのか合点が入った。自分の頭の中にあった情報が『点と線』で繋がった瞬間だった。