濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
親にも隠した“突然のがん宣告”…山本KIDに憧れたプロレスラー・フジタ“Jr”ハヤト、万感の2冠獲得「毎回、これが最後かもしれないと思って」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byGLEAT
posted2023/08/04 11:06
5年に及ぶ欠場期間を経てリング復帰を果たしたフジタ“Jr”ハヤト
両親にも伝えられなかった「がん宣告」
脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫。腰と臀部の間あたりにできていた腫瘍が痛みの原因だった。はじめは放射線と抗がん剤による治療。しかし最終的には手術に踏み切る。
「ヘルニアだと思われていた腫瘍を取ったけど、それよりも大きな腫瘍ができてました。手術は神経を切って、そこに自分の細胞をはめて、血液で固めました。一般の人はプレートを入れるんですけど、受身を取った時にプレートが割れるかもしれないので」
手術の時点で、もう一度リングに上がることを前提にしていたのだ。ただがんであることを、最初は誰にも言えなかった。両親にも。
「これまでもさんざん心配かけてきて“さすがにこれ以上は……”って。検査の結果を聞く時に“親御さんも呼んでください”と言われたんですけど断って僕だけで。雰囲気で“あぁ、がんを宣告されるんだな”って分かりましたね」
団体にもがんのことは伝えなかった。負傷欠場だと思っていた新崎からは「そろそろ復帰できそうか?」という連絡が何度も来る。さすがにもうごまかしがきかなくなった。
「新崎さんにがんのことを言って、それから親にも。自分としては引退と同時に発表しようと思ってたんです。でも団体が支援興行をやってくれることになって、ファンの人たちにも伝えようと」
「あの時は本当に絶望感しかなかった」
2019年には1試合限定での復帰戦。そこから3年を経て、2022年7月1日に本格復帰を果たした。
「とにかく試合がしたかったです。それで引退になるにしても、挨拶とかじゃなく公式戦がしたかった。もし下半身が動かなければドッグレッグスと同じ形式でもいいからって」
手術をして目が覚めた時は、下半身の感覚がまったくなかった。「あの時は本当に絶望感しかなかった」とハヤト。しばらくは車椅子生活だった。ただ車椅子を操ることで、上半身の筋肉は衰えなかった。
「下半身はさすがに痩せ細りましたけど。車椅子は子供の頃から環境的にも慣れてたんです。遊びで使ったり、周りに車椅子バスケの選手がいて一緒にやったり。身体のデカさで言えば、デビューしてから今が一番かもしれない(笑)」
リハビリ、そして復帰へ。ハヤトには頑張る理由があった。2018年、愛してやまないKIDが世を去る。死因はがんだった。車椅子で生活している頃には父が倒れた。
「脳溢血です。それも2回目で、自分の力では立てなくなって。自分も足が動かない。ベッドから降りるのを車椅子の母親が手伝ってくれる状況で。“どうすんだ、これ”って時に思ったのは“リハビリしかねえな”と」