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親にも隠した“突然のがん宣告”…山本KIDに憧れたプロレスラー・フジタ“Jr”ハヤト、万感の2冠獲得「毎回、これが最後かもしれないと思って」

posted2023/08/04 11:06

 
親にも隠した“突然のがん宣告”…山本KIDに憧れたプロレスラー・フジタ“Jr”ハヤト、万感の2冠獲得「毎回、これが最後かもしれないと思って」<Number Web> photograph by GLEAT

5年に及ぶ欠場期間を経てリング復帰を果たしたフジタ“Jr”ハヤト

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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 みちのくプロレスに所属するフジタ“Jr”ハヤトは昨年7月1日に長期欠場からカムバック、復帰戦で東北ジュニアヘビー級王座を獲得した。

 さらに今年7月1日には初参戦の団体GLEATでUWFルール王座を奪取している。復帰1年で2冠獲得は快挙だ。しかも、ハヤトの欠場期間はトータルで5年にも及ぶものだった。欠場の原因はケガ、そしてがんだった。

憧れた山本“KID”徳郁の姿

 1986年、東京都足立区出身。子供の頃から総合格闘技のジムで「見よう見まねで」練習していた。年代的に桜庭和志vsホイス・グレイシーの伝説的一戦(2000年)を中学生で見たことになる。その2年後にはK-1 WORLD MAXで魔裟斗がブレイク。特に好きなのは山本“KID”徳郁で「追っかけでした」と言う。ただ格闘家になろうとは思わなかった。なりたいのはプロレスラーだった。

「最初はリングスの前田日明さんが好きになって、遡って前田さんが出ていた頃の新日本プロレスも見るようになりましたね。それに高田さんも好きで、1995年の武藤敬司vs高田延彦戦は完全に高田さんを応援してました」

 少年時代のハヤトには、すでにゴッドファーザーJrというリングネームがあった。障害者プロレス団体「ドッグレッグス」に父とともに参戦。ハヤトの両親は障害者だった。

「ドッグレッグスはプロレスと言ってますけど、内容は総合格闘技。健常者と障害者がガッツリ殴り合ったりするんです」

 ドッグレッグスは書籍や映画にもなったから、知っている人もいるだろう。そこでは障害者たちがきれいごとではない姿を見せ、個性をさらして闘う。

 そんな舞台を経て、ハヤトは中学を卒業したらすぐにプロレス団体に入門するつもりだった。

「でも周り全員から反対されました(笑)。頼むから高校は行ってくれって。格闘技をやってたので担任の先生が推薦を出してくれて、入ったのが自由ヶ丘学園。レスリングの強い高校でした」

「高校行く時間ももったいないって」

 レスリング部のハヤトの同期には、後に総合格闘技団体DEEPでチャンピオンになり、RIZINでも活躍する大塚隆史がいた。一つ上がデスマッチのトップ選手・竹田誠志だ。

「竹田さんは最初、総合格闘技(ZST)でプロになったんですよ。一緒に大日本プロレスとかデスマッチ見に行って“絶対、葛西純と試合する”って言ってたのにどうしたんだろうって。でも僕がプロレスラーになって3年くらいしてプロレスに来ましたね。だからプロレスでは僕が先輩なんですけど、会場で“プロレスを始めました”と敬語で挨拶されて“竹田さんやめてくださいよぉ”って(笑)」 

 レスリング部から推薦で大学に行く者も多かったが、ハヤトにその気はなかった。早くプロレスラーになりたかった。

「もともと高校行く時間ももったいないって思ってましたから(笑)。高校、大学の期間プロレスやったらチャンピオンになれるかもしれない。大学出た新人とチャンピオンじゃ全然違いますもんね」

【次ページ】 キッドの弟子になり「受けた影響ですか? 何もかもですよ」

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