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10年前、若き井上尚弥に敗れたボクサーは何を手にしたのか? 佐野友樹が明かす“今は亡き恩師の言葉”「めったに人をほめない金城監督が…」 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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posted2023/07/24 11:04

10年前、若き井上尚弥に敗れたボクサーは何を手にしたのか? 佐野友樹が明かす“今は亡き恩師の言葉”「めったに人をほめない金城監督が…」<Number Web> photograph by Number Web

2013年に井上尚弥のプロ3戦目の相手を務めた佐野友樹さん。健闘及ばず10回TKO負けを喫したが、試合後には想定外の反響が寄せられた

「親父が死んで、パチンコ屋で働いて…」

 佐野さんに期待をかけた松田会長のすすめで、高校は沖縄の名門・沖縄尚学高に進学してボクシングに励む。同校の金城眞吉監督はプロで世界タイトル連続防衛記録V13の金字塔を打ち立てた具志堅用高をはじめ、数々の名選手を育てた高校ボクシング界きっての名将だった(2017年に死去)。

「高校の練習はきつかった。寮生活なんですけど、3年間で一度も帰らなかったのは僕だけらしいです。チャンピオンになるまで帰らん、と。夏休みも冬休みもずっと練習してました。好きになるとこだわる性格なんでしょうね」

 高校時代は全国大会ベスト4が最高成績だった。全国大会で優勝した選手に他の大会で勝ったこともあったが、日本一にはあと一歩で手が届かなかった。高校で優勝できなかったこともあり、卒業後はプロではなく東洋大に進学。大学では甘さが出て練習を怠った時期もあったものの、気持ちを入れ直してプロ入りを決意し、2004年プロデビューを果たす。名門高校、大学出の佐野さんは中部地区のホープだった。

 父親の経営する建設会社で働きながら、デビューから11勝1分で迎えた2008年4月の試合でタイ人選手に敗れ、プロ初黒星を喫した。少年時代から応援してくれていた父親が病に倒れ、車いすで試合を見守る中、格下相手に「さっさと終わらせよう」と考えてしまい、3度倒されての判定負けだった。父親はこの試合を見たあとに亡くなった。2011年8月には初めて日本タイトルマッチに挑戦するも、王者の黒田雅之に惜しくもスプリット判定で敗れた。

「大学でダメになって、プロでも負けてはいけない相手に負けた。父親にも申し訳ないことをした。『やめなあかん』とも思いましたけど、中途半端で終われないし、ボクシングが好きだったから辞められなかった。親父が死んで、自分はパチンコ屋で働いていて、そういうときでした。井上戦のオファーをもらったのは……」

 佐野さんは井上に敗れたあと、3カ月後にもう1試合してグローブを壁に吊した。最後の試合は負傷ドローだったが、現役生活にピリオドを打つことに迷いはなかった。

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