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期待勝率94%が“一瞬で4%”に…藤井聡太をギリギリまで追い詰めた男の痛恨「最後のほうまで自分に勝ちがあったよな」 村田顕弘六段の告白
text by
大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph byKYODO
posted2023/07/15 17:00
藤井聡太を追い詰めた村田顕弘六段が、あの一局を振り返る
派手な手順で村田玉を詰ませた“独壇場”
こうなると七冠の独壇場だ。最後、藤井は派手な手順で村田玉を詰ませた。村田は「対局中はどこで逆転したのかわからなくて、最後のほうまで自分に勝ちがあったよな、と思っていました」と述懐する。10時間強の死闘で、藤井が優勢な時間は最後の10分ほど。一局を通して村田の指し回しはほぼ完璧だった。たった1手、金を取った手以外は。
「用意した作戦がうまくいって、中盤以降も自分の形勢判断通りに指せていた。ただ優勢な将棋でも時間が残っていないと勝ち切れない。本譜の角を出る手を指すならまだヤマがあるので、時間を残さなきゃいけなかった。でも長考して、寄せにいく手にすがってしまったんです」
早く勝ちたい。村田は急いていた。だから寄せがないかどうかを執拗に考え続けていたのだ。
藤井戦の内容には満足しているが、自身の成績には思うところがある。
「藤井さんに善戦して注目されたけど、他の対局が不甲斐ない。普段の対局も藤井戦のようにモチベーションを高く持たなきゃいけません」
村田の思い「将棋の序盤はもっと自由があってもいい」
藤井に敗れて今期は1勝5敗。前期も17勝18敗と一つ負け越していた。
すると村田がポツリと漏らす。
「自分は『関西若手四天王』と期待されていました」
2010年頃、豊島将之、糸谷哲郎、稲葉陽、そして村田の4人は将来のタイトル候補として大きな注目を集めていた。豊島、糸谷、稲葉は順調にトップ棋士の道を歩んでいったが、村田はそうはならなかった。
「彼らが必死に将棋の勉強をしている時に自分は遊びすぎました。トップに向かう貴重な時期に、自分は将棋に一生懸命向き合えなかった」と村田は振り返る。
人懐っこく愛嬌がある村田は多くの人に可愛がられ、酒席に誘われた。競艇にものめり込んだ時期があった。
「楽しかったし、人生という面では後悔していません。将棋人生では痛手でしたけどね」と言って苦笑した。
今後も序盤戦の追究は続けていく。
「村田システムを指し続けて活躍して、将棋の序盤はもっと自由があってもいいと証明したいんです」
停滞は確かにあった。だが村田は、システムとともにまだまだ進化の最中にある。
村田顕弘Akihiro Murata
1986年7月14日、兵庫県生まれ。中田章道七段門下。2007年四段。'17年六段。現在、竜王戦は4組、順位戦はC級1組に在籍。「村田システム」の発展形に「シン・村田システム」も。