格闘技PRESSBACK NUMBER
母国イランの英雄が“謎の死”を遂げて「次に狙われるのは俺だ」…亡命先のアメリカで“偽りの母国愛”を演じたアイアン・シークの壮絶人生
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byGetty Images
posted2023/07/05 17:00
在りし日のアイアン・シーク。反米ギミックのヒールレスラーとして活躍し、2005年にはWWE殿堂入りを果たした
Tシャツの文字は「IRAN」から「USA」に
プロレスラーとしてのピークは1983年12月、“NYの帝王”ボブ・バックランドを破りWWF(現WWE)ヘビー級王者となったときだろう。翌年1月には“超人”ハルク・ホーガンに王座を明け渡し、わずか1カ月の天下だったが、シークというアメリカ人から心底憎まれたヒールがいなければ、ホーガンの歴史的な王座奪取は成り立たなかった。歴史に残る王座交代劇の裏側には、必ず自分の役割をわきまえた賢いヒールがいることを忘れてはならない。
アメリカでの活躍とは裏腹に、シークは日本でこれといった活躍を見せていない。アントニオ猪木とシングルマッチで当たる機会もあったが、名勝負とはいいがたい試合内容だった。歴史を繙くと、日本とイランは友好関係を保つ時代が長かったのだから無理もない。たとえアメリカと同じ「悪いイラン人」の格好をしていても、その姿を見て悪感情を抱く日本の観客はいなかったのだ。
1970年にシークが亡命してから50年以上の歳月が流れたが、イランを取り巻く状況はさほど変わっていない。2020年9月12日、イラン政府はレスリング選手だったナビド・アフカリの死刑を執行した。アフカリは2018年に起きた反政府デモで警備担当者を殺害した容疑で逮捕されたが、のちに拷問されたうえでの自白だったと訴えていた。この悲報を聞いたシークは何を思っただろうか。
ホセイン・コシロ・アリ・バジリは「アイアン・シーク」としてアメリカンドリームを実現させ、アメリカ人として天に召された。現役時代は「IRAN」とプリントされたTシャツを着ていたが、晩年は「USA」と記されたそれを好んで着ていたということが、彼のアイデンティティの変化を如実に物語っている。
亡命以降、バジリがイランに里帰りしたという話は耳にしていない。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。