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母国イランの英雄が“謎の死”を遂げて「次に狙われるのは俺だ」…亡命先のアメリカで“偽りの母国愛”を演じたアイアン・シークの壮絶人生
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byGetty Images
posted2023/07/05 17:00
在りし日のアイアン・シーク。反米ギミックのヒールレスラーとして活躍し、2005年にはWWE殿堂入りを果たした
アメリカで生きるために「悪いイラン人」を演じた
リング上で徹底的に悪役を演じ続けるバジリあらためアイアン・シークは、格好のブーイングの標的となった。しかも先の人質事件は444日と長期に及んだので、時間が経つにつれシークは観客からヘイトを買う一方だった。
もう高度なレスリングテクニックなど必要なかった。スキンヘッドの頭にターバンを巻き、カールしたヒゲを強調した出で立ちは、アメリカ人にしてみれば典型的な“中近東の男”にしか見えない。そのルックスでアメリカに悪態をつき、粗暴な振る舞いをするだけで観客席からは「USA!」の大合唱が起こった。
リング内の出来事は、時代ごとの社会の空気を投影している。ロシア人に扮したニコライ・ボルコフと“反米コンビ”を組むと、シークは余計に大きなブーイングを浴びた。
クロアチア人の父とロシア人の母を持つボルコフは旧ユーゴスラビアで生まれ、ウェイトリフティングの世界で活躍した男だ。のちにカナダへ渡り、プロレスラーになる道を選んだ。ロシア人ギミックを演じる前は、弁髪姿のモンゴル人「ベポ・モンゴル」に扮していた。人生のままならなさを体現したようなその境遇は、相棒のシークと驚くほど似通っている。
それにしても、と筆者は思う。なぜ命からがらイランを脱出した男が、亡命先のアメリカで“偽りの母国愛”を振りかざして生きていかなければいけなかったのか、と。いや、冷静に考えてみると、プロレスという劇場でイランとアメリカの対立を浮かび上がらせるしか、自分のスキルを活かしたうえでの生きる道はなかったように思う。高度なレスリングテクニックを見せるより、観客の前でイランの優位性を説くだけで、トップヒールであることを証明する地鳴りのような罵声を浴びる。ヒールとして、これほど大きな勲章はない。
しかし、アメリカ人として生きようとすればするほど、「悪いイラン人」を演じなければならないというパラドックスに陥った結果、必然的に精神のバランスは崩れてしまう。その苦悩を少しでも紛らわせようと、シークがコカインなどの違法薬物に手を出してしまったという見立ては、おそらく間違ってはいまい。