濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2023/05/19 17:15
1年1カ月ぶりにプロレス会場に姿を現した大谷晋二郎。
「確実に一歩前進できたと思います」
「しばらく離れたプロレスのリングは、温かく感じました。まだまだこの調子なので、元気いっぱい“ただいま”とは言えないかもしれない。でも確実に一歩前進できたと思います。そして前進している姿を見ていただきたいという思いを、今日かなえることができました。(ZERO1を支えてくれた選手たちには)感謝という言葉では足りないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
どうなるか分からない時期も何度もありましたし、僕は何があってもあきらめず、帰るべき場所に帰ると思ってるんですけど、僕を待ってくださる人たちは、もっともっと待ち遠しい気持ちでいる。そう思うと早く帰らなきゃっていう気持ちが強かったです、今日を迎えるまで。
大谷コールは嬉しかったけど、あらためてプロレスは凄いなって。数ある業界の中でもプロレスは凄い。心からプロレスに出会ってよかった、プロレスラーを志してよかった。そう思いました。
いろいろ言う人がいるかもしれないけど、僕はZERO1の周年の大会で杉浦貴と闘ってよかった。心からそう思います。
記者のみなさん、プロレスを支え続けてくれて、心からありがとうございます。またみなさんのためにも、必ず戻ってきます。その日までプロレスをよろしくお願いします」
「頑張ったね」7歳の娘は、大谷の頭をなでた
我々マスコミにまで言葉をかけてくれるとは。「プロレスをよろしくお願いします」は、ケガをする前からの大谷の口癖だ。それは変わっていなかった。
自分がどれだけ大変で、どれだけ頑張っているか。家族と離れての病院生活、その辛さ。そうしたことは一切、口にしなかった。ファンにエールを送り、杉浦に感謝していると言い、それどころかマスコミを気遣う。そして「プロレス」のこれからを託す。人気女子プロレスラーのウナギ・サヤカには、ZERO1恒例のリーグ戦『火祭り』出場を呼びかけた。曰く「今の僕には男も女も関係ない」。
取材を終えた大谷の頭を、7歳の娘が「頑張ったね」となでた。初めて病室の父を見舞った日には「看護師になる」と言っていたそうだ。
大谷来場の一部始終、大変なものを見てしまったと思った。車椅子の大谷晋二郎は、とてつもなく強かった。
大会のメインイベントは大谷の盟友・田中将斗が杉浦と組み、小島聡&関本大介と対戦した。パワフルな攻防がノンストップで続いた20分フルタイムドロー。試合を終えた田中は言った。
「今日は本当に、プロレスのパワーを感じました。大谷選手は今、凄く頑張ってます。僕も勇気をもらったし、もっともっと頑張らないといけない」