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「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」 

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byNorihiro Hashimoto

posted2023/05/19 17:15

「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

1年1カ月ぶりにプロレス会場に姿を現した大谷晋二郎。

大谷晋二郎が帰る場所を守る…仲間たちの思い

 この日まで、大谷はもちろんZERO1も踏ん張り続けた。昨年6月の大谷エイド大会で、田中は杉浦から世界ヘビー級王座を奪還。今年3月には、新世代の中心選手である北村彰基が田中に挑戦している。挑戦表明した際、北村はこんなことを言っていた。

「(大谷の負傷以降)プロレスに対する向き合い方がガラリと変わりました。これまでは大谷さんや田中さんがやってきたことを、僕がやらなきゃいけない。僕が活躍すれば、大谷さんが頑張る力にもなる」

 昨年4月、大谷が倒れ騒然とする会場でマイクを握り、大会を締めたのは北村だった。「あの日から、僕がZERO1を背負うんだという気持ちになりました」と北村。10月、リーグ戦『天下一ジュニア』で優勝すると、大谷からLINEがきたそうだ。

「おめでとう。お前の頑張りがあるから俺も頑張れるんだ」

 大谷晋二郎が帰る場所を守る。そんな思いで闘う北村は、現在ZERO1と同時に栃木プロレスにも所属し、栃木に住んでいる。

 プロレス団体の経営はどこも楽ではない。2020年、ZERO1は生き残りをかけ若い選手たちの拠点を栃木に移す。受け皿になったのは、地元の産業廃棄物処理業者。16年ほど前からZERO1と手を組み、イベントを手がけてきた。現在、栃木プロレス代表も務める臼井伸太郎は振り返る。

「私も昔からのプロレスファンなんですが、ただ興行権を買うのではなく地域に貢献するイベントにしたかったんです。本業が産業廃棄物処理業者ということで、地域でゴミ拾いをして、拾ったゴミがチケットがわりになるという大会を開催しました。それから児童養護施設の支援をしたり、震災の時は炊き出しと試合。栃木プロレスを設立した年にコロナ禍が始まって、地元の人たちに元気になってもらおうと無料大会を重ねてきました」

栃木プロレスの選手寮にはお米が届くように

 活動は地域になじむことからスタートした。最初にやったのは稲刈りの手伝い。若いプロレスラーたちは30kgの米袋を軽々と運んでいった。それ以降、毎年栃木プロレスの選手寮にはお米が届くようになったそうだ。

 大会は県内の有名企業をスポンサーにしての無料イベント。親子連れの観客も多い。ちびっ子プロレス教室も開催され、“プロレス先生”北村の試合では子供たちがリングに駆け寄りマットを叩いて応援する。

「僕のメインのファン層はちびっ子たちです」と笑う北村。岩手出身ということもあり、東京から栃木に移り住んでも特に不便は感じないという。

「暑い日は川で遊んだり、こういう生活のほうが僕は合ってますね」

 栃木プロレスはサッカー、バスケ、アイスホッケーなどに続く「栃木県8番目のプロスポーツ団体」として根付いていく。プロレスを知らない、生で見たことがない人たちをいかに沸かせるか。東京と同じようにはいかないが、だからこそ若い選手たちには得難い経験になった。

【次ページ】 取材を続ける記者が感じた「大谷イズム」

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