濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2023/05/19 17:15
1年1カ月ぶりにプロレス会場に姿を現した大谷晋二郎。
取材を続ける記者が感じた「大谷イズム」
栃木プロレスの活動は、長年いじめ撲滅を掲げて学校での試合を行なってきたZERO1と大谷の流れをくむものでもある。2月には栃木の中学での伝統的行事「立志式」での試合も。元服にちなんで将来の志を立てるという行事で、2年生が出席する。栃木プロレスの選手たちは学校の体育館で試合をし、プロレスラーになるという夢を叶えた姿を見せた(プロレスには“暴力”と取れる側面もあるから、抵抗のある生徒たちは見ないのも自由だ)。
見ているのがいわゆる“厨二”なわけだからどうなるのかと思ったが、試合が進むうちに大熱狂。こんなに率直な反応があるのかと驚くほどだった。熱のある試合は間違いなく“届く”のだ。北村をはじめとする選手たちは、大谷がやってきたことを確実に受け継いでいた。
「10年かけて、栃木県のすべての小中学校を回りたい」
ケガをする前、大谷が言っていたそうだ。そんな大谷を宇都宮の市議会議員にという計画もあった。いや、正確に言うと今もある。いつか大谷が病院を出られる時がきたら、と。
大谷がケガをして1年あまり。取材をしてきて感じたのは彼とその周囲の何もかもがエネルギッシュだということだ。泣き言とは無縁。どんな状況下であれ前に進む。本人がいるのは病院でも、大谷イズムは常にリングの上にあった。
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