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兵役を終え台湾の誇りを取り戻した!
3年目の正念場を迎える阪神・蕭一傑。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO
posted2011/02/06 08:00
昨年開催されたアジア大会で銀メダルを獲得した台湾代表の蕭一傑(左)。隣は昨年秋のドラフトで阪神に1位指名された榎田大樹(アジア大会当時は東京ガス)。日本代表は銅メダルだった
台湾代表として出場した国際大会で「何かつかんだ」。
幸か不幸か、昨年はキャンプでの出遅れにより、台湾代表としてプレーする時間が生まれ、7月のハーレム国際大会では代表入りすることもできた。それほどの成績を残したわけではなかったが、この経験が後々大きく生きることになる。
「キャンプで出遅れて、焦っていたんですけど、ハーレムに行って、何かつかんだんですよね。帰ってきて『この感覚や!』って。そこから調子が上がってきたんです」
安定した投球フォームから繰り出すまとまりのあるピッチングは、どうしても見る者の印象に強く残りにくい。1年目はファームで最多勝投手を取るほど結果を出したにもかかわらず、一軍から声がかからなかったのはその証なのかもしれない。勝っているのに「お前のストレートでは一軍に通用しない」と二軍首脳陣からは言われてきたという。
それが昨夏のハーレム国際大会をきっかけとして、「変わった」というのだ。
そこからウナギ登りに調子をあげて行くと、二軍での登板機会まで増え、9月7日にはついに一軍初昇格を果たす。登板機会はなかったものの、一軍の空気を吸った経験は大きかったようだ。ウエスタン・リーグの優勝チームとして迎えた、ファーム日本選手権では先発を任されている。しかも、7回まで完全に抑えるという素晴らしいピッチングだった(8回途中3失点で降板)。
アジア大会の準優勝に貢献し、兵役期間は1年から12日に減免。
そののち、11月の広州・アジア大会で台湾代表入り。
「もし、代表に選ばれていなかったら、大変なことになっていたかも」という本番では4イニングに登板し、見事銀メダルを獲得している。
金メダルには届かなかったゆえ、兵役の完全免除とはならなかったが、1年間という期間が12日間に大幅軽減されたのである。アジア大会に行ったその足で、蕭は短くなった兵役義務を果たすべく台湾に戻った。
兵役中は、台湾代表にしてプロ野球選手でもある彼がそれほどきつい訓練をすることはなかったそうだ。だが、テレビも携帯もない中で一日24時間拘束された生活は刺激があったという。
「朝6時に起きて、軍服を着て、軍の歌を唄う。ひとつの号令で、みんなが一斉に動くんです。とてもいい経験になりました。小さい頃から親父に『男は兵役に行って、やっと一人前になるんだ』と言われてきました。父の時は3年で、僕は12日間という短い期間でしたけど、兵役をやって、ひとりの人間として一皮むけた気がします。台湾人としての責任を果たしたなって。誇りを持つようになれたかなと思います。台湾も、今なかなか就職先がなくて、だから、高校卒業してすぐ軍隊に入る人も沢山いるんですよ。僕の部署の長の人も年下だったし。そういうことも知ったし、いろんな人にも会ったんで、ここでの経験はどこかで生きてくると思います」
兵役のない我々日本人には、なかなか理解しにくい感覚ではある。だが、本人から直接話を聞いていると、彼自身の中の大きな変化を感じ取れるのだ。この感覚と「3年目なんで、頑張らないといけないプレッシャーを感じている」という言葉から、「台湾人・蕭一傑」の「覚悟」が感じられるのだ。