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《独占》“第二の祖国”日本で高祖父の墓参り…競技生活に終止符を打ったキーガン・メッシングの“長年の夢”に協力した筆者が語る秘話 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byTomohisa Konno

posted2023/04/21 17:00

《独占》“第二の祖国”日本で高祖父の墓参り…競技生活に終止符を打ったキーガン・メッシングの“長年の夢”に協力した筆者が語る秘話<Number Web> photograph by Tomohisa Konno

日本での国別対抗戦を終えた翌日、長崎を訪れ先祖のお墓参りをしたキーガン・メッシング

突如伝えられた「弟が事故死」の悲報

 2019年9月、キーガンはトロント郊外で行われたオータムクラシックで3位に入賞した。表彰式では、優勝した羽生結弦選手のために日本の国旗を手で広げて持っていたことが、ファンたちの間でも話題になった大会だ。だがチャレンジャーシリーズでは記者会見がなかったため、キーガンに声をかけて1カ月後のスケートアメリカで単独インタビューをする同意をもらっていた。

 衝撃の知らせを受けたのは、それからわずか1週間後のことだった。バイクに乗っていた弟のパックソンさんが交差点で乗用車にあてられ、事故死したという悲報が入った。キーガンとは年子で仲が良く、3児の父親でもあったという。

 これは、スケートアメリカは欠場になるのだろうか。たとえ来たとしても、取材を受けるような心境ではないだろう。そう思っていた筆者の予想に反し、キーガンはスケートアメリカに出場した。そして3位だったSPの会見後、おそるおそる話しかけた筆者に「取材はやりたいです。フリーが終わったらいくらでも話します」と言ってくれた。この時の取材の詳細は、拙著『翼を羽ばたかせて』(双葉社)に詳しく書いている。

「日本人の血が流れていることは大きな誇り」と何度も…

 この日のインタビューで、キーガンは弟さんに対する思いを余すことなく語ってくれた。競技スノーボーダーでもあった弟さんと、一緒にオリンピックに出場するのが夢だったのだという。キーガンの上には兄もいて、3人兄弟はとても仲が良くそれぞれ家庭を持ってからも家族ぐるみで助け合ってきたのだという。

 キーガンは本人も、彼の兄も、そして亡くなったパックソンさんも、日本人の血が流れていることは大きな誇りに思っていると何度も繰り返した。

 取材も終わりに近くなったころ、ふと「そういえば、万蔵さんのお墓は日本の長崎にあるのを知っていますか?」と聞いた。キーガンの、薄い茶色の目が一瞬輝いた。

「それは本当ですか? いつかお墓参りに行ってみたい。絶対行ってみたいです」

 そうキーガンが言ったことが、彼の見せた表情と共にずっと心に残っていた。

【次ページ】 協力した筆者が明かす「日本での墓参り」はいかに実現した?

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