ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「もう全盛期と比べて見る影もないね」前田日明が“ヒョードル引退試合”に感じた本音…リングスの総帥が“人類最強の男”と出会った日
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph bySusumu Nagao
posted2023/03/31 11:01
2023年2月、引退試合を行ったヒョードル。前田日明は“人類最強の男”の引退をどう見たのか。
ヒョードルが一番グラウンドができなかった?
――リングスのルールがKOKルール(グラウンド状態での顔面への攻撃を禁じたMMAルール)に変わる際、リングス・ロシアのリーダーであるヴォルク・ハンが、MMA用にチームを作り直した際、たまたま入ってきたのはヒョードルだったんですよね?
前田 ロシアでリングスの大会をやるちょっと前くらいから、向こうでも試合映像をテレビで流してたんだよね。それがヒョードルの目にとまって、ハンのジムに入って教わってたんだけど、アターエフなんかも含めた若手四天王のひとりだったんだよ。ただ、ハン曰く「ヒョードルが一番グラウンドができなかった」と。
――そうなんですか!
前田 でもね、独特の腕力(かいなぢから)があったんだよね。
――あと、柔道家、サンビストという触れ込みで来たのに、意外にもボクシングがうまいことに驚きました。
前田 当時はグレイシーが全盛で、対ブラジリアン柔術というものに答えを出さなきゃいけないから、パコージンが旧ソ連のアマチュアボクシングのオリンピックコーチを付けたりしてたんだよ。
――ニコライ・ピチコフコーチですよね。それでヒョードルの隠れた打撃の才能は開花したと。
前田 そうそう。
2000年、初来日第1戦「12秒KO」の衝撃
――初来日第1戦(2000年9月5日、後楽園ホール)で、和術慧舟會RJWの高田浩也選手にわずか12秒でKO勝ちしたときは、前田さんも驚かれましたか?
前田 ヒョードルは来日前にロシアで2戦経験させてから呼んだから、日本人には負けないと思ってたけどね。日本にはヘビー級を育てていく環境がなかなかないから。逆に「打撃は大丈夫なのかな?」と思ってたくらいなんだけど、あのパンチ力だったからさ。
――あの衝撃KO勝利で、ルーキーながらヒョードルは第2回KOKトーナメント(リングス「ワールド・メガバトル・トーナメント King of Kings」)に抜擢されたんですよね。
前田 あのトーナメントはメンバーがすごいんだよ。
※2000年10月から2001年2月にかけて行われた「第2回KOKトーナメント」は、のちのPRIDEヘビー級&UFC暫定ヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、UFC2階級制覇するランディ・クートゥア、のちのUFCミドル級王者デイブ・メネー、柔術世界王者ホベルト・トラヴェン、前年度準優勝のレナート・ババル、そこに田村潔司、高阪剛、ヴォルク・ハン、ヴァレンタイン・オーフレイムといったリングス・ネットワーク勢という、すさまじいメンバーだった。
――あの時、ヒョードルは1回戦で優勝候補の一角と見られていたヒカルド・アローナを判定で破ったんですよね。その時「こいつはホンモノだ」って思いました。