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大谷翔平の筋肉を触って「朗希、まだまだやな」夢のような“二刀流生活”を終えた吉井監督、休む暇もなくロッテ帰還「ワクワクするチームつくる」
posted2023/03/27 17:01
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph by
Naoya Sanuki
日本列島が沸いたWBCは、侍ジャパンの世界一で幕を閉じた。すべてがドラマチックで、色々なヒューマンストーリーのあった大会だったといえる。
投手コーチとしてベンチ入りした千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督(57歳)も世界一のメンバーの一人となった。メジャーで162試合に登板をして32勝。メッツ、ロッキーズ、エクスポズでプレーした実績十分の元メジャーリーガーは世界最強投手陣を束ねる立場として頭を巡らせた。そして様々な思い出の詰まるアメリカに日本代表のコーチという形で舞い戻り、日本3度目の世界一に貢献した。
縁だった。栗山英樹監督とはファイターズで投手コーチを務めていた時、共に戦った。そして世界への舞台で一緒に戦わないかと誘われた。若い侍の中心的存在だったダルビッシュ有、大谷翔平とも北海道日本ハムファイターズで一緒だった。その後、マリーンズの投手コーチ時代に令和の怪物・佐々木朗希と巡り合い、侍ジャパンへと一緒に合流した。様々な縁が重なり、繋がり、そして世界一の景色を見た。
1年目から知る佐々木朗希の世界デビュー
忘れもしない。佐々木朗希の1年目。2020年2月13日。石垣島春季キャンプのブルペンで初めてそのボールを目にした吉井監督(当時、投手コーチ)は興奮していた。メディアから印象を聞かれると「化け物。こんな衝撃を受けたのは近鉄時代に野茂を初めてブルペンで見た時、以来じゃないかな」と、まくし立てるように話をしながら表現した。そしてすでにその時から世界大会で投げる姿をイメージしていた。
3年前の事。もちろん、その時は世界との戦いに自身も一緒に投手コーチという形で参加をすることになるというストーリーまでは描いていない。事実は小説より奇なりなのだ。
「彼が1年目、最初の時から、ワシは(東京)オリンピックに出たら面白いなあと思っていた。それは叶わなかったけど、彼がWBCでアメリカのマウンドで投げて世界一のメンバーの一人となった事が嬉しい。そしてこうやって、縁あって、色々な人と同じチームでチームメートとしてアメリカで戦い、世界一の経験をさせてもらったのは夢みたいな体験だった」
振り返ると、WBCではそういう場面が沢山あった。人生とは本当に分からない。不思議な縁は繋がり、人の想像以上の物語が作り出された。