プロ野球PRESSBACK NUMBER
「俺を変えてくれた」山川穂高が野球人生で一番泣いた日…沖縄の大砲が猛練習を続ける理由「心が折れそうな時は、あの時の光景を思い出した」
text by
花里雄太(スポーツニッポン)Yuta Hanazato
photograph byNanae Suzuki
posted2023/03/08 11:04
侍ジャパンの全体練習後も“居残り練習”を行い、7日の試合で本塁打を打ってみせた沖縄の大砲。愛称“アグー”のパワーヒッターが猛練習を続ける理由とは…
とりわけ、本業の野球において、稀代のアーチストを「練習の虫」たらしめた出来事がある。
2008年9月27日、高2の秋。優勝候補の一角と目された中部商業は沖縄県秋季大会の3回戦で宮古高校と対戦。「4番・右翼」で出場した山川は、好機でことごとく凡退を喫する。その一方で、宮古の4番・川田将平は3回に2ランを放ち、6回には適時三塁打。2-6の劣勢で7回にも2死一、三塁のピンチを迎えていた。
当時、右翼の守備位置で「次の打席のことを考えていた」という山川。その瞬間、またしても川田が甲高い金属音を響かせ、左翼席へ豪快な3ランをぶち込んだ。規定により、7回コールド負け。しかし、山川はすぐには敗戦に気づかなかった。相手ベンチが喜んでいる姿を見て「あ、コールド負けなんだ……」と。グラウンドを出ると無力感に苛まれ、駐車場では涙が頬を伝った。自らは無安打。相手の4番・川田は2本塁打、6打点。
「とにかく、川田君に4番の差を見せつけられて、屈辱を味わった」
変わりたいので、メニューをください
帰りの車中では声を上げて泣きじゃくった。そして、天井を見上げ、「絶対に変わってやる」と強く心に誓った。未来の和製大砲が「野球人生で一番泣いた日」と振り返る1日。「あの秋があって今がある。心が折れそうな時は、あの時の光景を思い出した」と前を向く原動力に変えてきた。
翌日、山川はすぐに行動に出る。