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「やめさせたいんなら、殺してみろ!」大阪桐蔭“最低の学年”と呼ばれたヤンチャ軍団はなぜ甲子園に行けたのか…OB西岡剛の証言

posted2022/03/23 17:00

 
「やめさせたいんなら、殺してみろ!」大阪桐蔭“最低の学年”と呼ばれたヤンチャ軍団はなぜ甲子園に行けたのか…OB西岡剛の証言<Number Web> photograph by KYODO

2002年夏甲子園に出場した大阪桐蔭時代の西岡剛。初戦の東邦戦に敗れたが、主将・4番として2安打を記録した

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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KYODO

2018年夏、史上初となる2度目の春夏連覇を果たした最強軍団の常勝の魂は果たしてどのように受け継がれてきたのか。黎明期を支えた西岡剛、全国にその名を轟かせた中田翔、王者の宿命を背負った根尾昂が大阪桐蔭での日々を追想する。Sports Graphic Number 983号(2019年7月25日発売)『[我らの最強高校論]大阪桐蔭高校「ほとばしる情熱と常勝の宿命」西岡剛/中田翔/根尾昂』を全文掲載します。全2回の1回目(後編へ)※肩書きや所属球団、時系列など全て掲載時のまま

 西岡剛はもうスポーツカーに乗っていない。ネオンの光からもしばらく遠ざかっている。その代わり、8時間の睡眠、目覚めの散歩とストレッチ、半身浴、そして白球とバットで一日を満たしている。

「5台くらい乗ってましたが、再婚と同時に手放しました。20代は派手な車に乗って、飲み屋で遊びましたけど、結局、見栄の張り合いなんですよ。僕、頭良くないので、あの頃はわからなかったんです」

 21歳でゴールデングラブ、ベストナインに輝いたスピードスターはそのまま日の丸をつけ、アメリカへと突っ走ったが、やがて減速し、3年前にアキレス腱を断裂し、1年前、阪神を自由契約となった。彼はついに止まった。そこで大切なものが何かということに気づいた。

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 独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブス。今、西岡が汗を流しているのは、とてもフェラーリでは入れない北関東の農道の奥にある、ロッカー室もない地方球場である。自らの練習が終われば、不揃いなユニホームの若者たちに「テンション低いんちゃうかあ!」と関西弁とノックを浴びせる。

 野球人生の黄昏。ここに至って無性に思い返されるのが、あの生駒山の坂道をがむしゃらに駆け抜けた3年間だという。

「特攻服を着ていたような奴らの集まり」

 2000年、西岡が入学した頃の大阪桐蔭は群雄割拠の中のひとつに過ぎなかった。西岡も王者PL学園のセレクションに落ちて入学してきた選手だった。

「僕らの代はみんな中学の卒業式で特攻服を着ていたような奴らの集まりでした。入ってすぐに監督から『今までで最低の学年だ』と言われたんです。だからかもしれないですが、バットを振れなくなっても振る。捕れない打球に本気で飛びつく。そういう精神的に追い込むような練習が多かったんです。特にあの坂道ダッシュは……」

 とんがりまくった原石たちに、坂を走れと命じたのは当時30歳の青年監督・西谷浩一である。中でも、とびきりのゴン太だった西岡とは真っ向からぶつかり合った。

「少しでも気を抜いたプレーをしたら、今すぐ野球辞めろと言われ、突き放されました。でも僕も反抗するし、向かっていった」

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