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4年前に聞いた藤浪晋太郎“メジャーのリアル評”「ぜひアメリカに譲ってほしい」…昨季3勝5敗も“復活の予感”が漂うワケ〈大谷翔平と同地区に〉
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byJIJI PRESS
posted2023/02/19 11:05
エンゼルス・大谷翔平と同地区のアスレチックスに移籍した藤浪晋太郎(写真は2014年オールスター)
そうして迎えた春のセンバツは1回戦で大谷翔平の花巻東と対決。大谷には豪快な一発を右中間スタンドに叩き込まれたものの粘り強く投げ、大一番を制した。準々決勝の浦和学院戦でも6回からマウンドに上がって、7回に無死満塁のピンチを迎えるも、三者連続三振という最高の結果を出して見せた。
甲子園のスターが誕生した瞬間だった。
そのままセンバツ、そして夏の甲子園も制した。準決勝・決勝を連続完封するという活躍を見るにつけ、一度、火がついたら止められない藤浪の凄まじさを感じたものだった。
高校時代に語っていた「お互いの印象」
当然、同学年のライバル、大谷との比較は当時からなされていた。
ドラフト前にNumberの取材で二人をインタビューしたが、読書家という共通点はあるものの、夢の描き方は対照的で、実に興味深いものだった。
「高校生で完成しているというか、完成度の高いピッチャーだなと思いました」
藤浪のことをそう表現したのは大谷だった。自分にはない要素。「ストレートと他の変化球のバランスがいいし、大崩れしない。勝てる投手」と大谷は付け加えた。
一方の藤浪は「あんなキレイなフォームで投げてみたい。僕にはできない。柔らかいというか。運動能力も僕とは全然違いますよね」と当時は大谷より先行していた自身の評価にかぶりを振った。
「春夏連覇のエース」と「160キロのエース」
もっとも完成度という違いは、彼らそれぞれの目標の違いから生じたものだった。
藤浪が「完成度の高い投手」と言われた一方、高校時代の大谷はまだ能力の片鱗をわずかに見せたに過ぎなかった。高校3年夏の岩手県大会で160キロを計測。それ自体はものすごいことだったが、「試合に勝つピッチング」という部分では未熟だった。いや、高校3年生の間では、覚醒までの時間が足りなかったと言った方がいいかもしれない。
2年夏の甲子園を経験した大谷は、下半身の怪我を抱えていた。それに伴い、同年の秋はプレー時間が限られた。おそらくこの時点で、大谷自身、そして指揮官の佐々木洋監督も、高校3年間での完成は諦めていたのではないか。