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4年前に聞いた藤浪晋太郎“メジャーのリアル評”「ぜひアメリカに譲ってほしい」…昨季3勝5敗も“復活の予感”が漂うワケ〈大谷翔平と同地区に〉
posted2023/02/19 11:05
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
JIJI PRESS
意外にも(?)流暢な英語で受け答えする記者会見。大阪桐蔭時代の姿が鮮明に思い出された。
昨年まで阪神に在籍していた藤浪晋太郎が、今季から舞台をメジャーリーグに移す。前年の成績は3勝5敗。この数字でのメジャー挑戦に驚いた人もいたのではないか。「僕の挑戦は思いつきではない。準備をしていた」。そう“言いたげな”記者会見に、藤浪らしさを感じずにはいられなかった。
思えば高校時代の藤浪は、メジャーへの関心は高くなかった。
どちらかといえば安定志向。その点、高校時代に同じ高身長の右投手としてライバル的存在にあった大谷翔平(エンゼルス)とはまるで異なる。そもそも、大阪桐蔭の門を叩いたのも、強烈なプロ志向があったわけではなく「明治大学へのルートがあると思って」のことだった。その後の人生を考え、文武両道を歩むつもりだった。
ところが、入学した大阪桐蔭で藤浪の気持ちに火がついた。なかでも彼がとてつもない勢いで成長を遂げたのは2年の冬からだ。
「勝負弱かった」藤浪が変わった“あの対決”
それまでの藤浪はエース格ではあったが、甲子園とは縁がなかった。1年秋は近畿大会1回戦で、伏兵の加古川北に苦杯を喫し、翌春のセンバツは出場ならず。2年夏は大阪府大会決勝戦で、石川慎吾(巨人)のいた東大阪大柏原にサヨナラ負けした。大一番の試合にこそ敗れる藤浪には「勝負弱い」というレッテルが貼られたほどだった。
2年の冬場を迎えた頃、センバツ出場を射程圏内に収めていたものの、参考試合となる近畿大会では準々決勝で天理に敗れた。この試合も、藤浪が勝負弱さを露呈しての敗戦だった。
「勝負弱いと言われていたからというわけではありませんが、最後の粘りを意識する必要があるなと。だから、冬場の練習は、最後のしんどい時のメニューこそ、粘るようにしました。みんなより、最後は長く走るとか、最後の一本を一番で走るとか」