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〈58歳で死去〉中田宏樹八段が37歳で挑んだ「羽生さんと竜王戦で戦う」夢、藤井聡太16歳との名局…「将棋の勝負はきついものです。でも」
text by
北野新太Arata Kitano
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2023/02/10 06:01
Number1060号の取材に応じてくれた際の中田宏樹八段
中田は時代に流されることのない美学の人である。昔も今も携帯電話を持っていない。パソコンも使わない。データベースを用いず、将棋連盟まで出向いて得た棋譜で日夜の研究を行っている。
「縛られるのは嫌だなあという思いがあるんです。もう僕だけかもしれません(笑)」
19年夏、16歳の天才・藤井との一局
'19年の竜王戦4組では藤井聡太と名勝負を演じた。中田が夢に触れた'02年の夏に生を受けた天才を、磨き続ける宝刀の矢倉で翻弄する。勝勢で最終盤を迎えたが、藤井は竜の眼前に銀をタダ捨てする驚愕の鬼手を放つ。罠に嵌まった中田に詰みが生じ、急転の投了に追い込まれた。
届かないものを今も追いかけている。だから、今も眠れない対局前夜がある。
「勝負はとてもきついものです。でも、将棋で勝負して、きついものだな、と思えることはとても好きなんです。あまり先のことについては言えるものはないですけど、目の前の一局、目の前の一手を懸命に指していくしかないですよね」
行方尚史、真田圭一、中田宏樹は今も夢を追って戦い続けている。
12月で行方は49歳になる。
挑決三番勝負の夏から28年、移りゆく時代の中で格闘してきた。2013年の王位戦、'15年の名人戦では羽生善治に挑戦したが、20歳当時の雪辱を果たせてはいない。
「今の自分だけを見つめて戦っていきたい。自分にだって誇れるものや胸を張れるものはあるはずだから」
「棋士として生きることは綺麗事じゃない」
棋士たちの生存競争は激化している。
「棋士として生きることは綺麗事じゃない。近年の激流の中で過ごして、今の僕はゼロに戻りました。昔みたいなタフさは落ちてるかもしれないけど、黙殺されないように自分を奮い立たせて、泥濘の崖を登っていくしかないです。抗い続けたい」
遠い日に放った一瞬の光は今の自分を輝かせたりはしない。誇りとして生きるつもりもない。
「甘美な果実のような思い出ではあるけど、今を生きていかなくちゃいけないから」
竜王戦の夢にはもうひとつの正体がある。
決して終わらないこと。
竜王にならない限り、戦いの場を去る日を迎えない限り、想いは胸の中に残り続ける。頂に向かって駆け上がり、夢に触れた記憶を持つ男ならばなおのことだろう。
藤井聡太と広瀬章人による七番勝負が終わる頃、第36期竜王戦のランキング戦は開幕する。戦う者に等しく権利は与えられる。
あの日、柿生駅のホームで夢を抱いたかつての青年は「今の自分だけを見つめたい」と何度も繰り返し言った。
辿り着かず、終わらない夏の中を生き続けている。
<#1からつづく>
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