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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
駒澤大・大八木弘明監督に「それならやってやるよ!」と反抗…2年前箱根で区間賞、“怒られすぎた男”が“第2の父親”をそれでも嫌いになれないワケ
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byNanae Suzuki
posted2023/01/28 11:02
今年の駒澤大と同じく、2021年箱根駅伝優勝時にも6区は区間賞。その走りを見せたのが花崎悠紀(当時3年)だった。本人に話を聞くと…
「大八木監督は、“第2の父親”。僕の場合、反抗的な態度を取ることもありましたし、正直ずっと好きだったわけではありません。ときには理不尽に思えることもありましたけど、“親”って嫌いにならないですよね。箱根出場までの3年間、たくさん迷惑をかけて、何度か見捨てられかけながらも、面倒を見てもらいました」
いきなりのカミナリ…マイナスからのスタート
入学して間もない1年時の関東インカレで大八木監督の逆鱗に触れたことは、忘れもしない。競技場で運営補助の走路員としてイスに座っていると、いきなり後ろから怒鳴りつけられた。
「『こんなところで何を座っているんだ、しっかり応援しろ』って。あの日は暑かったので、休んでいると思われたのかもしれません。僕は1年生でしたし、『すみません』と謝るしかなくて……。その後、全員で集まったときにも怒られて、先輩たちから厳しい目を向けられました。マイナスからのスタートでした」
最初に悪印象を与えながらも練習には必死に食らいつき、1年時から箱根駅伝の補欠メンバー入り。ただ、痛みを隠して無理に練習を続けてきた代償は大きかった。故障の影響で春先まで走れず、復帰後も調子が上がらずに苦しんだ。2年目のある日、4年生たちから呼び出され、厳しく問い詰められた。
「炭酸飲料を飲まない」と誓約書を書いた
「真剣に取り組むか、競技者を辞めるかの二択を迫られたんです。あのときの僕は意欲も低下し、“ゴミクズ”みたいな選手だったので。もう一度頑張るために『炭酸飲料を飲まない、お菓子を食べない』と誓約書を書いたくらいです」
寮の同部屋で選手からマネジャーに転向した1学年上の吉村晃世に『お前なら絶対にできるから』と励まされたことも大きかった。気持ちを引き締め直し、大八木監督との向き合い方も変えた。一方通行のコミュニケーションではなく、自己主張することを心に誓った。
ゲーミングチェアが発端となって大八木監督と怒鳴り合い
「監督から言われたことをただやるだけではなく、違うと思えば、自分の考えを伝えるようにしようって。いま思えば、生意気な態度で言い返すこともあったと思います。周りからは『普通、そんなことはできない』と言われても、正面からぶつかりました」