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「あなたは本当にヒロシマから?」原爆投下の6年後、“アメリカ”を知った田中茂樹のボストンマラソン前夜「こんな国の人に勝てるわけが…」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byShigeki Tanaka
posted2023/01/03 06:04
1951年のボストンマラソン優勝後、ヤンキースのジョー・ディマジオと握手する田中茂樹。彼が体験した“アメリカ”は想像とは異なっていた
「あなたは本当にヒロシマから来たのか?」
日本選手団の一行がボストンにあるジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に到着すると、ボストン体育協会の関係者らが迎えてくれた。ひとりずつに首飾りを掛け、記念撮影が始まる。食事も豪勢だった。
「砂糖もある。肉もある。果物もある。なんでもある。こんな国の人と戦って勝てるわけがない。でも、もし勝ったら、きっとアメリカは日本を認めるに違いない」
田中の胸中には、不安と自信が交錯していた。
そんな田中が数日後、米国防総省から調査を受けることになった。その理由は、田中が広島の人間だったからである。
国防総省の男が、通訳を介して田中に訊ねた。
「あなたは本当にヒロシマから来たのか?」
「もちろんです。生まれも育ちも広島の人間です」
「では、この写真は実際にあったことなのか?」
そこには、原爆投下で亡くなった人や大けがをした人、焼け野原になった街並みが写っていた。田中の村は広島市内から遠く離れていたため、被爆はしていなかったが、村に運び込まれた被爆者もおり、原爆の悲惨さは十分に知っていた。
「事実です。あなたたちが原爆を落としたせいです」
「そうか。ヒロシマの人間は全員死んだと思っていたが、そうではなかったのか。では、あなたに訊きたい。戦争を起こさないためには何が必要ですか?」
「必要とかいう問題じゃない。戦争を起こさなければいいだけだ。そんなの当たり前じゃないか!」
田中はストレートに自分の気持ちをぶつけた。すると、男は通訳と一緒に拍手をした。
「あなたの言っていることはもっともだ。大会では応援する。頑張ってくれ」
国防総省の人間が自分の意見に賛同するとは思ってもいなかった。田中は不思議な気持ちで、男が差し出した右手を握り返した。