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アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」 

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posted2022/12/29 11:08

アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

燃える闘魂アントニオ猪木。Numberにも刺激的な言葉の数々を遺してくれた

「仏教的な無の境地とまではいかないけど、何となく冷静な部分が流れてる。リングに上がる恐怖心もそんなにはないですね。(中略)自分の中で気持ちの整理はもうすでにしているんでしょうね」

「みなさんがどんどん時代の中のアントニオ猪木というものを作っていってしまっている部分があるのかな。だから今言った、終わり方が難しくなってくるというか」

 それでも世間の猪木像に応え続けたのも、猪木がカリスマ性を保ち続けた理由なのだろう。猪木がラストマッチを戦ったのは、1998年のこと。この発言から2年後のことだった。

猪木が死の直前に語ったこととは

<名言4>
また旅に出たいね。
(アントニオ猪木/NumberWeb 2022年10月5日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/854851

◇解説◇
 猪木は晩年、自身のYouTubeチャンネルで難病に侵されながらも必死に戦う様子を動画配信し、Numberでも現在の新日エースであるオカダ・カズチカとの対談に臨んだ。自身が持つ発信力の高さを知っているからこそ、最後の最後まで猪木であろうとしたのだろう。

 一方、妹でブラジル在住の佳子さんが「とってもやさしくて、思いやりがある人。兄弟全員の自慢の兄であり、弟でした」と語る通り、プライベートでは慈愛に満ちた人物でもあった。

「死に際を撮ってくれ」

 長年にわたってアントニオ猪木を追い続けた友人でありフォトグラファー原悦生さんに、猪木は生前このように伝えていたという。そんな原さんらとの対話の中で、猪木が最後に口にした望みは「旅に出たい」というものだった。

 中学生にしてブラジルに渡り、プロレスラーとなってからはアメリカ、パキスタン、キューバ、イラク、北朝鮮、パラオ……様々な土地を訪れ、レスラーとして、政治家としても鮮烈なインパクトを放ってきた。肉体こそ死んでも、猪木の魂は今も世界中を駆け回っているのかもしれない。

<つづく>

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