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アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」 

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posted2022/12/29 11:08

アントニオ猪木「死に場所は自分で見つけなきゃ」「ボロボロな肉体に…」現役晩年の苦しみ、死の4日前の「また旅に出たいね」<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

燃える闘魂アントニオ猪木。Numberにも刺激的な言葉の数々を遺してくれた

 特に40代後半に差し掛かった90年代に入ってからは“猪木はいつまでレスラーを続けられるのか”、“いつ引退するのか”といった見立てが大きくなっていた。実際、新日のリング上では藤波、長州力らが脂の乗り切った状態だったとともに、橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋といった「闘魂三銃士」も台頭してきていたからだ。

 しかし49歳となった猪木は、このように話していた。

「最近のプロレス界に限らず、スポーツ界のスーパースターに関して、底の浅さを感じる。それは光と陰のバランスが昔とは違ってきているからだと思える。光とは試合の当日であり、陰とはトレーニング。今、どこの業界もスター作りに必死になっていて、陰の部分にどれだけ長い時間を費やしているのだろうか」

 1992年当時、猪木は国会議員の任にあった。それでも「俺は走るのが一番苦手なんだ」と語る走り込みを日課として、その後議員会館に向かっていた。そしてトレーニングのたびに自身の肉体を労わっていたそうだ。全盛期に比べて身体が悲鳴を上げていたのは容易に想像がつく。それでも猪木にしか見せられないスター性を、猪木は苦しみながらも自身を信じて日々を過ごしていた。

死に場所は自分で見つけなきゃ行けないのかも

<名言3>
死に場所は自分で見つけなきゃ行けないのかもしれないな。
(アントニオ猪木/Number384号 1996年1月18日発売)

◇解説◇
 猪木の引退までの戦いは「INOKI FINAL COUNT DOWN」と銘打たれて開催された。グレート・ムタや柔道王ウイリエム・ルスカ、藤原喜明……などなど、猪木らしい奇想天外なマッチメークの中で、「厳しかった」と語ったのは96年の1・4東京ドーム、8年ぶりとなるビッグバン・ベイダー戦だった。

 170キロは優に超える肉体から繰り出すパワー、投げっぱなしジャーマンやムーンサルトプレスを使いこなすベイダーの攻撃に猪木は押されまくった。

「あのスープレックスのせいで今もまだ首が痺れてる。左足の親指も剥離骨折しちゃったし」

 それでも腕ひしぎ逆十字固めで勝利をもぎ取ってしまうのは、現役晩年の猪木らしいと言えたのだが……猪木はこう冷静に自身の心境、そして自分を見る世間の目を語っていたことがある。

【次ページ】 猪木が死の直前に語ったこととは

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