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鈴木軍はプロレス界に何を残したのか? “やりたいこと”を貫いた鈴木みのると家族たちの11年「俺たちは、間違いなく、1番だった」
posted2022/12/29 11:04
text by
原壮史Masashi Hara
photograph by
Masashi Hara
12月19日、国立代々木競技場・第二体育館で行われた『タカタイチ2人合わせて50周年記念興行』。鷹木信悟との壮絶なラストマンスタンディング戦を終えたタイチが、観客に対して問いかけた。
「俺らは何番だ? 鈴木軍が1番? 俺らは何番だ?」
鈴木軍が示してきた“強さ”とは
その5日前の12月14日、鈴木軍の“ボス”鈴木みのるは、新日本プロレス仙台大会でマイクを持つと会場をざわつかせた。
「2023年、鈴木軍、新しい出発だ。それぞれが新しい旅に出る。2022年、今年をもって、鈴木軍、解散します」
2011年5月の結成から11年、鈴木軍は突然その歴史にピリオドを打つことになった。
解散を決めた理由について「いろいろ」と多くを語らなかった鈴木だが、メンバーの成長がひとつの要因であることは確かなようだ。
「もう俺の助けなんかいらないじゃないかよ。強いじゃないかよ、みんな」
鈴木は「やってることは11年前とほとんど変わってない」と強調しながら、「最初から言ってるだろ。客が何を求めてるか? 強いやつを求めてるんだ。強さを求めてるんだ。それは間違いない」と、自らが変わることなく周囲の反応をブーイングから支持へと変化させてきたことを誇った。
鈴木軍の“強さ”は、いわゆる試合での強さだけではない。
自分がやりたいことをやる。自分が欲しいものを奪いに行く。見ている人々は、自分の道を自分で作ることができる強さ、そしてその道を堂々と歩む強さに憧れた。
鈴木軍の解散に伴い、「ケジメ」として今回で最後になったタカタイチ興行も、まさに各々が“やりたいこと”を実現する場所だった。
新宿FACEや新木場1stRINGで開催していた大会は、後楽園ホールへと舞台を移し、やがて代々木第二体育館へとたどり着いた。タイチがヘビー級に転向するきっかけとなった内藤哲也とのシングルマッチや、今年のプロレス大賞で年間ベストバウトの最終候補まで残ったほど強烈だったエル・デスペラードと葛西純の物語をはじめ、様々な“やりたいこと”の実現に惹きつけられた人々は会場へと足を運び、彼らの強さに魅せられて帰路についた。