Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER

「反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし…」28年前、箱根駅伝優勝ゼロだった駒澤大を変えた大八木弘明・新コーチの“強烈な指導法”

posted2023/01/11 17:02

 
「反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし…」28年前、箱根駅伝優勝ゼロだった駒澤大を変えた大八木弘明・新コーチの“強烈な指導法”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2000年の箱根駅伝。初優勝を決め、ガッツポーズでゴールする駒大アンカーの高橋正仁

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph by

JIJI PRESS

駒澤大学を箱根駅伝総合優勝8回に導いた大八木弘明監督(64歳)。1月3日の優勝会見で「監督として最後に残っていたのが三冠だった」と語り、今季限りでの退任を表明した。

大八木監督が母校のコーチに就任したのは28年前、1995年だった。それまで一度も箱根で勝ったことがなかったチームを名将はいかに指導したのか――? 4年前の雑誌『Number』の記事を特別に公開する(全2回の1回目/#2へ)【初出:Number992号(2019年12月12日発売) ※年齢・肩書など掲載時のものです】

◆◆◆

「俺、そんなに若かったかな(笑)」

<「平成の常勝軍団」が強豪への道を歩み始めたのは、1人のコーチを招聘した瞬間だったのだろう。6度の優勝を重ねた名将と教え子たちに話を聞き、初優勝までの知られざる、情熱的な道のりを辿った。>

 2000年。世紀の変わり目を控えた箱根駅伝で、駒澤大学が初優勝を遂げた記念すべき年だ。

 あれから20年。当時、コーチだった大八木弘明はまだ41歳だった。

「えっ、俺、そんなに若かったかな(笑)」

 1958年生まれの大八木は苦労人だ。福島・会津工高を卒業すると小森印刷(現・小森コーポレーション)に入社するが、どうしても箱根駅伝への思いが断ち切れず、24歳で駒大の夜間学部に入学。川崎市役所に勤務しながら勉強し、練習に励む学生生活である。大八木は84年の箱根で山上りを担当し、見事区間賞。3年時は「花の2区」でも区間賞を獲得している。しかし、4年生の時は年齢制限のために走ることは出来なかった(当時の年齢制限は27歳まで)。

 その大八木が低迷していた母校から指導者として呼び戻されたのは95年4月のことである。この年、予選会落ちの危機を感じた当時の総監督・高岡公が大八木に白羽の矢を立てたのだ。

「反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし…」

 ところが当時の駒大は戦う集団とはかけ離れた状況だったと大八木は振り返る。

「もうTVドラマの『スクール・ウォーズ』の世界。反抗的な学生もいたし、タバコは吸ってるし、朝までバイトしてから練習に来る学生もいたなあ。1年生は朝練習を切り上げて食事当番をさせられて、しかもそのメニューがこれまたひどいんだ。あれでは、競技力が上がるわけがないですよ」

 大八木は腹をくくった。

【次ページ】 「大八木さんと同じ角刈りになってました」

1 2 3 NEXT
駒澤大学
大八木弘明
高岡公
藤田敦史
國學院大学
前田康弘
西田隆維
澤木啓祐
順天堂大学
青山学院大学

陸上の前後の記事

ページトップ