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「100万円って、今でも大きな金額」「決算書詳細をライバルに公開」宇都宮市と“日本一の自転車タウン”に成長したチーム運営がスゴい 

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byJAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

posted2022/10/26 17:00

「100万円って、今でも大きな金額」「決算書詳細をライバルに公開」宇都宮市と“日本一の自転車タウン”に成長したチーム運営がスゴい<Number Web> photograph by JAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

宇都宮市で3年ぶりに開催されたジャパンカップサイクルロードレース。なぜ栃木県の県庁所在地は自転車タウンになったのか

 その点、宇都宮では毎年ジャパンカップが開催されており、近年はコンスタントに2日間で10万人以上、多い年には12万人以上の観衆が詰めかけている。マイナースポーツという位置づけ自体は動かし難くとも、ロードレースに対する地元市民の認知度は他の地域より高いはずだ。

 その半面、栃木県は当時、都道府県の魅力度ランキングなどで最下位になることが多かった。そんなイメージを払拭するためにも、プロロードチームを作れば格好の街興しの材料になるだろう。

元F1ドライバー片山右京も支援してくれることに

 ブリッツェン創立へ邁進する廣瀬は、企業や行政の関係者に何度も呼びかけた。

「必ず宇都宮を自転車で日本一にします!」

 強力なパートナーになってくれた宇都宮市役所職員・砂川幹男の呼びかけにより、大手自動車販売会社、リサイクル会社、建設会社も次々に賛同を表明。満足な資金もないままチーム作りを始めた中、少しずつスポンサーが集まってくる。

「本当にゼロから始めて、10万、30万、50万、100万と、少しずつ少しずつお金を積み重ねていきました。100万円って、今でも大きな金額だと思ってます、実感として」

 ブリッツェンのチームカーに貼られているスポンサーのステッカーは200社以上。その中には廣瀬の母校・作新学院の名もある。

 こうして09年に発足したブリッツェンの選手は、廣瀬自身と現社長の柿沼章(50)を含めて計9人。1年目は報酬も安く抑えざるを得ず、「生活していけるだけのサラリーを払っていたのは2人だけで、他の選手はアルバイト代程度だった」という。

 光明が見えてきたのは3年目の11年、後に東京オリンピック日本代表に選ばれるエース・増田成幸(39)が加入してからだ。翌12年には、国内の実業団Jプロツアーで初めてチームが団体優勝、増田が個人優勝を果たす。この時点で、ブリッツェンの所期の目標は、ある程度達成できたと言ってもいいだろう。

 しかし、廣瀬の目標はあくまで、自転車をサッカーや野球のようなメジャースポーツにすることにあった。それにはJリーグやNPBと同様、日本中にブリッツェンのような地域密着型のチームと、そういうチームが戦える新リーグを設立しなければならない。

 それが、21年から開幕したJCL(ジャパンサイクルリーグ)である。この発足に当たり、力強いパートナーとなってくれたのが元F1ドライバー、自身も自転車競技の選手だった片山右京(59)だ。

「右京さんとは、ブリッツェンを立ち上げた08年ごろ、初めてお会いしました。僕の企画書をお見せしたら、その場ですぐ、協力すると言ってもらったんです。即決でしたね」

契約書のひな形や決算書の中身まで見せたワケ

 “世界の右京”は自らJCLの会長となって広告塔を務める傍ら、自前のチーム、チーム右京を立ち上げてレースに参戦。海外の有力選手を集めて、廣瀬のブリッツェンとともにリーグの中心的存在となった。

 そこへさらに那須、広島、福岡、大分など地域密着型のチームが加わり、計9チームが結集。那須ブラーゼンやヴィクトワール広島の創立には、廣瀬が全面協力している。

【次ページ】 目標は「世界一の地域貢献を行うプロスポーツチーム」

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宇都宮ブリッツェン
廣瀬佳正
増田成幸
片山右京

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