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「100万円って、今でも大きな金額」「決算書詳細をライバルに公開」宇都宮市と“日本一の自転車タウン”に成長したチーム運営がスゴい

posted2022/10/26 17:00

 
「100万円って、今でも大きな金額」「決算書詳細をライバルに公開」宇都宮市と“日本一の自転車タウン”に成長したチーム運営がスゴい<Number Web> photograph by JAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

宇都宮市で3年ぶりに開催されたジャパンカップサイクルロードレース。なぜ栃木県の県庁所在地は自転車タウンになったのか

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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JAPAN CUP CYCLE ROAD RACE 2022

 サイクルロードレースとの結びつきを強くしている宇都宮市。そこにゼロベースからかかわっている人物、アスリートたちに「スポーツ普及」について聞いた。(全2回の前編/後編につづく)

 10月15、16日の週末、栃木県宇都宮市は3年ぶりに開催されたアジア圏最高位の自転車レース、〈ジャパンカップサイクルロードレース〉に沸き返った。沿道に詰めかけた観衆の大変な盛り上がりは、本場ヨーロッパから参戦したベルギー人の有力選手、エドワード・トゥーンスに「まるで地元で走っているみたいだったよ」と言わしめたほど。

 宇都宮市大通りを15周回する15日のクリテリウム(33.75km)が5万人。森林公園周回コースを走る16日のロードレース(144.2km)が7万6000人(主催者発表)。自転車レースがメジャースポーツとは言えず、まだ関心を持たない人も多い日本で、ジャパンカップには国立競技場のキャパシティー並みのファンが集まった。宇都宮市は、日本全国でも随一の「自転車レースタウン」なのだ。

企画書を作って、市役所や地元の関係先を配り歩いた

 この街では、今なぜ、自転車だったのか。宇都宮ならではの歴史と背景は、10年以上根付いている地域密着型プロロードチーム、ジャパンカップにも参戦した〈宇都宮ブリッツェン〉の存在を抜きにしては語れない。

 この創業者が、ジャパンカップ開催期間中、「盛り上げよう、盛り上げよう!」とチームや選手、大会スタッフや地元関係者、大勢のファンを鼓舞しながら駆けずり回っていた人物。ブリッツェン運営会社〈サイクルスポーツマネージメント株式会社〉副社長・廣瀬佳正(45)である。

 廣瀬は現役のプロロード選手だった2007年からチーム作りに取りかかり、09年の発足へこぎつけるまで2年を要した。野球、サッカー、バスケットボールとは違って、ロードレースの社会的認知度が今よりもさらに低かった時代である。自転車と言えば競輪しか思い浮かばない人も多く、スポーツではなくギャンブルのイメージも強かった。

 1992年から毎年ジャパンカップが行われ、数万人の観衆を集めている宇都宮ですら、ロードレースはまだ限られたマニアックなファンのスポーツと見られていた。そんな地元の市民、企業、行政や教育機関の理解を得るためには、ロードレースのプロチームとはどういうものなのか、その成り立ちを一から説明しなければならなかったという。

「最初は、ブリッツェンの企画書を作って、宇都宮市役所や地元の関係先で配り歩くことから始めました。ジャパンカップが行われる時は、メーカーさんが宿泊しているホテルに押しかけたり、その場でサポートをしてくださいと頼み込んだり。ツテを頼ってあちこちに協力をお願いしていきました」

「そんなの無理だろう」との声も聞こえました

 企画書の内容は廣瀬が考えて、デザインは友人の実業家・ブラッキー中島隆章(59)が担当した。中島は日本全国の学校で子供向けの〈自転車安全教室〉を主催している。この社会貢献活動を、ブリッツェンのプレゼン、ロードレースの普及活動とコラボレーションして、地域の理解を求める作戦だった。

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