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アントニオ猪木の妹(ブラジル在住)が語る“猪木寛至の素顔”「どちらかというと寡黙な人でした」「闘病中も毎日のように電話を…」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byBUNGEISHUNJU/Hiroaki Sawada

posted2022/10/24 17:02

アントニオ猪木の妹(ブラジル在住)が語る“猪木寛至の素顔”「どちらかというと寡黙な人でした」「闘病中も毎日のように電話を…」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU/Hiroaki Sawada

アントニオ猪木の妹・佳子さん。ブラジル在住の彼女が兄についての秘話を話してくれた

「当初、ブラジルでは日本のテレビが視聴できなかったしニュースも入らなかったので、本人からの連絡だけが頼りでした。でも、プロレスラーとして一人前になってから、私たちを頻繁に日本へ招待してくれた。

 試合会場がいつも満員で、兄が大変な人気者になっているのを見て、皆、あっけに取られました」

私たちはみんな平凡な人間なのに、どうして寛至だけ…

――1998年の東京ドームでの引退試合にも行ったそうですね。

「兄に招待してもらって、兄弟たちと大挙して行きました。東京ドームに着いたら、凄まじい数の観衆が周囲を取り囲んでいて、みんな兄のことを話している。もちろん、会場内も超満員でした(注:主催者発表の観客数は7万人)。

 兄弟で、『私たちはみんな平凡な人間なのに、どうして寛至だけこれほど特別な人間になったのだろう。とても信じられないね』と話し合っていました」

――最後にブラジルで会われたのは?

「2017年です。サンパウロ国際空港まで迎えに行きました。もうその頃は体調が悪く、車椅子に乗っていました。でも、そういう姿は皆さんには見せたくないので、『俺が着くことをメディアの人には絶対に知らせないでくれ』と言われていました。事業に関連した用事であちこちへ行った後、ぜひにと頼まれてサンパウロで講演もしました。

 その間、人前では決して車椅子の世話にならなかったのですが、サンパウロの空港の内部に入ったらすぐに車椅子に乗っていました」

――晩年の闘病生活についても、つぶさにご存知でしたか?

「ええ。毎日のように電話をくれました。たいてい日本時間の早朝か夜、ブラジル時間では夜か朝でしたが、日本時間の未明に電話をしてくることもあった。『こんな時間にどうしたの?』と尋ねたら、『つらくて眠れないんだ』とぼやいていました。でも、病状について決して弱音は吐かなかったです」

最後に話したのは亡くなる数日前だった

――晩年、猪木さんはSNSなどで自分の闘病生活を公開しました。あれだけの強さを誇った人が、なぜ自分が弱った姿をさらけ出したのだと思いますか?

「昔から、隠し事が嫌いな人でした。それに、世の中には自分のように難病で苦しむ人が大勢いる。そういう人たちに自分が頑張っている姿を見せて、勇気を与えたかったのではないでしょうか」

――最後に話をしたのは?

【次ページ】 兄のことを考えると悲しくてたまらなくなる

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