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[掟破りの3カ月半]1989年のオグリキャップ「異常なる季節の代償」
posted2022/10/20 07:01
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Yoshiteru Kubo
平成の世がはじまり、休養明けのスーパーホースは、ファンの大声援を背に走りに走った。オールカマーから暮れの有馬記念までGI連闘を含む6戦を戦い抜いた狂気のローテーションは、怪物に何を残したのか。この年、すべての手綱を取った鞍上・南井克己の回想とともに振り返る。
激動の1989年。中国で天安門事件が勃発し、ドイツではベルリンの壁が崩壊した。米国のジョージ・ブッシュ大統領とソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ最高会議議長がマルタで歴史的な会談を行ない、冷戦の終結が宣言された。日本では1月7日に昭和天皇が崩御され、昭和64年と平成元年が同居した年としても人々の記憶に残っている。
オグリキャップは、この年に4歳(当時の表記では5歳)を迎えた。地方競馬の中でも規模が小さい、岐阜県の笠松で挙げた12戦10勝という実績を引っさげてJRAに転入してきたのがその前年で、予めのクラシック登録がない馬に対する追加登録の救済規定はまだ用意されていなかった。三冠路線への出走が認められず、3歳シーズンはやむなく中央のエリート古馬たちと勇敢に戦い、そのシチュエーションがファンの熱狂をあおる役目も果たすことになった。締めくくりの大一番有馬記念では、当時の最強古馬タマモクロス、同期の菊花賞馬スーパークリーク、マイルCSの覇者サッカーボーイらを破って日本一に輝き、翌年は心身ともにさらなる充実を迎える年になる、と誰もが信じていた。