フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「完治したら、早い自信あります」紀平梨花20歳、五輪断念からわずか4日間のジャンプ練習で全日本の切符を獲得! 再び世界への展望も明かす
posted2022/09/27 11:20
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
AFLO
フリーの「タイタニック」を滑り終えた紀平梨花は、息ひとつ上がらない澄ました笑顔で、ジャッジに向けて挨拶をした。525日ぶりの公式戦、しかも怪我が完治していないという状況にも関わらず、疲れた様子は微塵も見せない。
「昨年9月から、ジャンプは抑えていてもスケーティングほぼ毎日やってきました。今年5月から4カ月間は滑らず、トレーニングとピラティスを頑張ってきました。復帰してみて、体力もあるし筋力が落ちていないからこそ、しんどさも少なかったです」
得点は154.49点で、6位。数字だけを見れば、期待どおりの結果ではなかったかも知れない。しかし実際には、大きな可能性を示す一戦だった。
「足が痛くて、車椅子を使おうかというくらいでした」
怪我が発覚したのは、昨年6月。五輪シーズンを控えトレーニングを積むなか、ジャンプの着氷で使う右足首に痛みがあった。MRIの画像では距骨に線が入っていたものの、病院によって「疲労骨折、または古傷の線が残っている」と、診断が分かれた。
「やっぱり五輪シーズン。古傷であることに期待して、ちょっとだけ滑っておこうと思って練習を続けてしまいました」
痛みが少ない日にジャンプの練習をし、夜や翌日に強い痛みが戻る。1週間ほど練習を休み、痛みが軽くなるとジャンプの練習をし、また痛みがぶり返す。それを繰り返しているうちに12月となり、五輪代表を決める全日本選手権が近づいた。
「カナダから日本に帰国するのに、足が痛くて、空港まで車椅子を使おうかというくらいでした。でも全日本選手権に出ないという決断は、五輪に出ないという決断と同じこと。どうしても決断できなくてまずは帰国しました。でも『ジャンプをこれ以上やったら大怪我になる』という予感があり、痛み止めを打って滑ったら骨をパックリ折って選手生命が終わるかも知れない。それですべてを受け入れ、決断しました」
全日本選手権を棄権後、少しずつ気持ちを来季へと向けていった。ブライアン・オーサーコーチらが北京五輪からカナダに戻ると、紀平もトロントに渡った。それは、紀平がこの1年半、ジャンプよりも重要視してきた基礎レッスンのためだ。