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馴れ初めはシドニー五輪…40歳フェデラーが“最強の愛妻家”になるまで「僕の妻です。うん、響きがいいね(笑)」 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byGetty Images

posted2022/09/23 06:04

馴れ初めはシドニー五輪…40歳フェデラーが“最強の愛妻家”になるまで「僕の妻です。うん、響きがいいね(笑)」<Number Web> photograph by Getty Images

41歳で引退を迎えるフェデラー。妻は元テニス選手のミロスラバ“ミルカ“・バブリネック

 当時フェデラーはグランドスラム・デビューから2年目の19歳で、世界ランキングは36位。まだツアーレベルでの優勝はなく、グランドスラムはその年の全仏オープンでの4回戦が最高だった。初めてのオリンピックで準決勝に進出するが、前年の全豪オープン・ベスト4のトミー・ハースに敗れ、3位決定戦にも敗れて銅メダルを逃した。

 バブリネックは当時107位。当時世界1位のマルティナ・ヒンギスと25位のパティ・シュナイダーが直前になって欠場したため、同じスイスのバブリネックにワイルドカードが転がり込んできたのだ。しかし1回戦でこの大会の銀メダリストとなるエレナ・デメンチェワに完敗した。

最初はフェデラーから「ミルカはモテモテでしたよ」

 1週間あまりのシドニー滞在中、先に恋心を抱いたのはフェデラーだったというが、それをうかがわせるのが2002年にふたりでホップマンカップに出場した時の映像だ。ホップマンカップとは、オーストラリアのパースで2019年まで年初に行われていた男女ペアの国別対抗戦。8チームがエントリーし、男女それぞれのシングルスとミックスダブルスで争われる。公式戦ではないが、開放的で和やかな雰囲気のこのエキシビション・イベントで肩慣らしをしてからシーズン入りするトップ選手も少なくなかった。

 フェデラーは2001年にヒンギスとともに優勝。パートナーをバブリネックに代えて臨んだこの年はグループラウンドで敗れたのだが、敗れたにもかかわらずオンコート・インタビューは二人揃って幸せオーラ全開で、バブリネックの控えめな語り口とはにかみがとにかく可愛らしい。

 その選手時代を知る日本の元女子プレーヤーが、以前教えてくれたことがある。

「ミルカはモテモテでしたよ。アプローチしていた男性の中には、アラブの国の王子もいたくらいです」

ついに交際開始…フェデラーが一気にスターダムへ

 そんなミルカを射止めたのがフェデラーで、ロマンスが始まったシドニーの翌年からスターダムへと突き進んでいく。ウィンブルドンの4回戦、その年5連覇を狙っていた芝の帝王ピート・サンプラスをフルセットで破った。準々決勝で地元イギリスのヒーロー、ティム・ヘンマンに敗れ、ウィンブルドンでのメジャー初制覇まで2年待たなくてはならないが、間違いなくあれがダイナミックな世代交代の狼煙だった。

 一方、バブリネックも2001年に自身最高のシーズンを迎えた。全米オープンでグランドスラム自己最高の3回戦に進出。しかしそれが最後のグランドスラムになった。右足の靭帯のケガを克服できず、フェデラーとのホップマンカップから3カ月後、ツアーを去った。

 バブリネックは当時の心境を、のちに地元スイスの記者に語っている。

【次ページ】 「もう一度テニスを取り戻させてくれた」

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