Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「ムムッ!いいんです!」は兄ジョン・カビラの口癖だった? 川平慈英(60歳)がニュースステーション大抜擢の真相を語る「実は最初、断ったんですよ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2022/09/23 11:06
テレビ朝日「ニュースステーション」のキャスターとして日本サッカーを盛り上げてきた川平慈英。しかし、本業である俳優との両立に悩んだ時期もあった
「いやいや、俺は役者だよ。どうしてニュース番組に出ないといけないんだって。事務所の人間は『は?』みたいな(苦笑)。『久米さんの隣に座れるんだよ』『全国放送だよ』って説得されたけど、最初のうちは『やれよ』『やらない』の繰り返しだった」
実は川平は91年にWOWOWのサッカー番組の司会を務め、その後、テレビ東京で『ダイヤモンドサッカー』のMCも経験していた。
「サッカーの仕事は楽しい反面、仕事にするのは難しいなって。趣味で楽しむのと視聴者に伝えるのとでは雲泥の差があることに気づき始めていたんでしょうね。それに、ニュース番組に出てキャスターの色が付くのも嫌だったし、何より夜の生放送なので舞台スケジュールとの兼ね合いが心配だったんです」
事務所の人間の説得は続いたが、川平は頑なに首を横に振り続けた。
事務所も困っただろうが、川平も困っていた。どうしたら逃げ切れるだろうか、と。
そこで兄のジョンに相談することにした。このとき、兄はCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)を退社し、ジョン・カビラとして人気ラジオパーソナリティになっていた。
「ジョンに『嫌なんだよね。どうしたら断れるかな』って聞いたら、『お前、ぶっとばすぞ』って。『これは表現者であるお前を多くの方に知ってもらうチャンスだぞ。こんなチャンス逃したら二度とないぞ』と。『考えてみろ、スタジオもステージも一緒だろ』って言うの。なるほど、そうかと。生放送のJリーグコーナーも考えてみれば、ひとつの劇場だなと。そこで自分を表現すればいいのか、と気づいて『すいません、やります!』って(笑)」
ガチガチだったニュースステーション初出演
こうして迎えた記念すべき第1回の放送日。川平は自身の未熟さを思い知る。スタンバイのときからガチガチで、逃げ出したくなってしまったのだ。
「役者って1カ月近く掛けて、セリフを頭に入れるでしょう。でも、ニュース番組はその場で原稿を渡されて生読みする。俺、そんなことできないよって。『俺、もう辞めたい。干されてもいいから』ってマネージャーに泣き言を言って。そんな僕を見て、久米さんが突っ込んでくるんですよ。『川平くん、テンションを上げて、自由にやってくれればいいから。大丈夫、大丈夫。ここにいるスタッフはみんな、ファミリーだから』とフォローしてくれたと思ったら、『まあ、カメラの向こうには2000万の人がいるんだけどね』ってニヤリとするんです(笑)」
だが、川平がJリーグコーナーを自身の色に染めるのに、そう時間はかからなかった。
ときに絶叫を交えながら、ハイテンションでサッカー愛を表現する川平の情熱を、まずは共演者たちが浴びた。当初はサッカーのことなどまったく知らなかった久米や小宮悦子が、サッカーにどっぷり浸かっていく。
それが川平にとっては、何よりも嬉しかった。
「小宮さんは94年のアメリカW杯でロベルト・バッジョの大ファンになった。久米さんなんて02年の日韓W杯のとき、髪の毛を青く染めちゃって。どんどんサッカーフリークになっていってくれた。サイコーだよね!」