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冨安健洋のケガに“闘将”が激怒した日…「トミを見ると3、4人ばかり日本人を」「彼はモネ」アーセナル移籍後もボローニャで愛されていた
posted2022/09/04 11:01
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images/Kiichi Matsumoto(JMPA)
昨年3月のW杯アジア2次予選直後、イタリアに戻った冨安が即出場したインテル戦で負傷すると、ミハイロビッチは日本代表での酷使が原因だと激怒した。
「私も昔、代表監督をやったことがあるからわかるが、所属クラブのトッププレーヤーを無理して起用しなくていい試合はある。14対0で勝つ試合に私の冨安を使うな。モンゴルが相手ならば、私でもプレーできたはずだ」
試合後の生放送で公然と日本サッカー協会に不満をぶちまけたことは記憶に新しい。
闘将は愛弟子がプレミアリーグへの移籍交渉で揺れていた昨年8月末にも、熱のこもった惜別のメッセージを述べている。
「ここ数日、冨安に『プロフェッショナルであれ』と説いている。もし旅立つのなら彼のキャリアのために私は嬉しいし、もし残ってくれるならやはり私は嬉しい。重要なのは、ここにいる最後の瞬間まで、ボローニャのために全力を尽くすことだ」
ひと目見て“こいつは本物のトッププレーヤーだ”
「冨安について聞きたい? やつは規格外の選手だ。ひと目見て“こいつは一流だ、本物のトッププレーヤーだ”と思った」
電話の相手は、南イタリアの港町サレルノにいた。街の古豪クラブ・サレルニターナでスポーツディレクターを務めるワルテル・サバティーニは、昨秋までボローニャの強化を司る職にいた。
サバティーニといえば、クラブを渡り歩きながら、アレッサンドロ・ネスタを始め多くの名選手を抜擢、発掘してきたカルチョ界きっての辣腕フロントとして知られる。その一流の目利きがボローニャで惚れ込んだ秘蔵っ子が冨安だった。