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「トミヤスは技術やフィジカルの素質以上に…」「一段上のレベルに達したと」冨安健洋が“守備の国イタリア”で信頼を得た才能とは

posted2022/09/04 11:00

 
「トミヤスは技術やフィジカルの素質以上に…」「一段上のレベルに達したと」冨安健洋が“守備の国イタリア”で信頼を得た才能とは<Number Web> photograph by Getty Images

ボローニャ時代の冨安健洋。アーセナル、日本代表でも主力へと定着する土台となったイタリアでの日々とは?

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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アーセナルで加入直後にレギュラーを勝ち取り、日本代表では攻守の鍵を握るまでになった23歳。その飛躍の裏には、昨夏まで2年間を過ごしたイタリア・ボローニャでの充実した日々があった。Number1050号『冨安健洋「“モネ”になった2年間」』の記事を無料で全文掲載します(全2回の1回目/#2も読む)

 もし、冨安健洋の出生地が九州・福岡ではなくイタリアだったなら、彼はアッズーリ(イタリア代表)に文句なしで選出されていたのではないか――。

 彼がセリエAでプレーした2年間、取材をしながら頭の片隅にいつもそんな考えがあった。ボローニャで冨安を鍛えた闘将シニシャ・ミハイロビッチは、リーグ戦でのある完封試合の後、感嘆しながら彼をこう評したことがある。

「サイドバックとして右も左もできるし、もちろんセンターバックもやれる。両足が使えてスピードがあり、空中戦で頭も使える。戦力としてかなり重要な選手だ。日本人とは思えん」

トミは今でもボローニャのファミリーの一員

 2019年夏、セリエA挑戦を始めた冨安は、EU圏外出身の若手新人としては異例の開幕スタメンを勝ち取ると、瞬く間にチームの中心となった。世界的ストライカーを揃えたユベントスら強豪クラブの攻撃陣を相手に健闘を続け、守備の国でリーグ屈指の右SBとして高評価を獲得。飛躍的成長を遂げた彼は昨夏、プレミアリーグの名門アーセナルによって移籍金約30億円で獲得された。

 新天地でもすぐに定位置を確保したが、年明けからはふくらはぎ負傷による欠場が長引き、3カ月以上も実戦から遠ざかった。だが、4月23日のマンU戦で復帰。アーセナルのミケル・アルテタ、カタールW杯を控える日本代表の森保一という2人の指揮官にとって心待ちにした瞬間だったろう。

 冨安に注目しているという声はイタリアからも聞こえてくる。

 イタリア北央部の古都ボローニャ。都市環状道路沿いのカステルデーボレ練習場に訪ねたのは、古巣の戦術コーチ兼代理監督を務めるエミリオ・デ・レオだ。

「カタールW杯には、うちからポーランドの(ウカシュ・)スコルプスキやセネガルの(イブラヒマ・)エムバイェら4人ほど代表選手が出る見込みです。トミは今でもボローニャのファミリーの一員だと思っています。彼がW杯に出場すれば、我々にとっても本当に誇らしいことですよ」

初めてトミに会ったときに受けた鮮烈な印象とは

 白血病と闘う指揮官ミハイロビッチは、3月下旬から高度治療のために2度目の長期入院生活に入っている。登録上の副監督はセルビア同胞であるミロスラフ・タニガだが、公式戦前後の記者会見対応や戦術采配など実質的な“代理監督”の任を負うのは、イタリア人のデ・レオだ。

 十年来ともに働く闘将からの信頼も厚く、チームの戦術家である彼こそ冨安の成長について話を聞くべき人物だった。

【次ページ】 トミが一段上のレベルに達したと感じたのは……

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