#1050
巻頭特集

記事を
ブックマークする

[古巣幹部は語る]冨安健洋「ボローニャで“モネ”になった2年間」

2022/05/07
アーセナルで加入直後にレギュラーを勝ち取り、日本代表では攻守の鍵を握るまでになった23歳。その飛躍の裏には、昨夏まで2年間を過ごしたイタリア・ボローニャでの充実した日々があった。

 もし、冨安健洋の出生地が九州・福岡ではなくイタリアだったなら、彼はアッズーリ(イタリア代表)に文句なしで選出されていたのではないか――。

 彼がセリエAでプレーした2年間、取材をしながら頭の片隅にいつもそんな考えがあった。ボローニャで冨安を鍛えた闘将シニシャ・ミハイロビッチは、リーグ戦でのある完封試合の後、感嘆しながら彼をこう評したことがある。

「サイドバックとして右も左もできるし、もちろんセンターバックもやれる。両足が使えてスピードがあり、空中戦で頭も使える。戦力としてかなり重要な選手だ。日本人とは思えん」

 2019年夏、セリエA挑戦を始めた冨安は、EU圏外出身の若手新人としては異例の開幕スタメンを勝ち取ると、瞬く間にチームの中心となった。世界的ストライカーを揃えたユベントスら強豪クラブの攻撃陣を相手に健闘を続け、守備の国でリーグ屈指の右SBとして高評価を獲得。飛躍的成長を遂げた彼は昨夏、プレミアリーグの名門アーセナルによって移籍金約30億円で獲得された。

 新天地でもすぐに定位置を確保したが、年明けからはふくらはぎ負傷による欠場が長引き、3カ月以上も実戦から遠ざかった。だが、4月23日のマンU戦で復帰。アーセナルのミケル・アルテタ、カタールW杯を控える日本代表の森保一という2人の指揮官にとって心待ちにした瞬間だったろう。

 冨安に注目しているという声はイタリアからも聞こえてくる。

 イタリア北央部の古都ボローニャ。都市環状道路沿いのカステルデーボレ練習場に訪ねたのは、古巣の戦術コーチ兼代理監督を務めるエミリオ・デ・レオだ。

会員になると続きをお読みいただけます。
オリジナル動画も見放題、
会員サービスの詳細はこちら
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Getty Images

0

0

0

前記事 次記事