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母校の後輩たちも驚く“地元のスター・茜ちゃん”の世界選手権2連覇…バドミントン山口茜の恩師が語る強さの秘密「朝練も居残り練習もしなかった」 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byGetty Images

posted2022/08/30 11:01

母校の後輩たちも驚く“地元のスター・茜ちゃん”の世界選手権2連覇…バドミントン山口茜の恩師が語る強さの秘密「朝練も居残り練習もしなかった」<Number Web> photograph by Getty Images

バドミントン世界選手権・女子シングルスで日本人史上初の連覇を達成した山口茜。恩師や後輩たちが応援に駆けつける中、見事な優勝を飾った

 山口との思い出といえば、こんなこともあった。

 国際試合では日本代表のHCやコーチらスタッフがベンチ入りするが、高校時代、1度だけ所属チームの監督である小林が、急遽、ベンチに入りしたことがあったという。山口が3年時に出場したヨネックスオープンジャパン2015の決勝戦、奥原希望との対戦だった。

「その試合の第1ゲームは奥原選手が11点を先取してインターバルに入ったんです。そこで茜が何を話すのかなと思っていたら、『先生、高校の担任の先生がスーパーシリーズの決勝戦のベンチに入ってアドバイスするなんて、史上初じゃないですか?』『こんなこと一生ないですよ。記録に残りますね』というんです(笑)。

 高校の試合で私がベンチに入るときは、インターバルで戦術的なアドバイスを送ることはほとんどなくて、大抵、緊張をほぐすような言葉ばかりだったんですよ。ゲーム中は集中している分、インターバルでは少し一息つけるようなリフレッシュするような言葉を茜も求めていたので」

スター選手となった今でも母校に顔を出す

 オフコートでは、「(日本代表の)オーラはなく、いたって普通の高校生」(小林)だった。

「自分から積極的にというタイプではなかったですね。休み時間も友だちと騒ぐという感じでもありませんでした。ただ、ナショナルチームの合宿や遠征で不在時も多かったので、高校にいるときは、彼女の周りに自然と人が集まっていました」

 山口が卒業して早7年の月日が流れた。しかし、彼女が故郷を愛する気持ちや母校との関係性は今も変わらない。

「帰省すると必ず顔を出してくれるんですが、自分で良ければ使ってくださいといって積極的にも練習に参加してくれるんですよ。東京五輪の後、1カ月ほどうちで練習していた時もそうでした。『今日はこの4人を預けるから』と2時間ほど茜に部員の練習を見てもらったりしたこともありました。

 コートに入らずにまずは30分ほど茜が話をしたり、一方的に自分の考えを押し付けるタイプではないので、周りの意見を聞きながら会話するような感じで進めながら練習していましたね。部員からすれば、偉大な先輩ではあるんですけど、敷居が高くないというか。隣のお姉さんみたいな感じだったかもしれません」

【次ページ】 後輩たちも「茜ちゃん!」と応援

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