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「ノリが亡くなったことはやっぱり信じられない」弟・山本“KID”徳郁の話をしながら…山本美憂は涙を流した「あの日、ノリは泣いてた」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGetty Images
posted2022/08/28 17:01
2018年9月、胃がんによって41歳で他界した山本“KID”徳郁(右)。左は弟子の堀口恭司(2015年のUFCで)
「基礎を徹底的にやらないといけないから地味でつらいことばかり。きつかったし、何よりつまらない。最初のほうは楽しいと思ったことなんて一度もないですよ。私もアーセンも何もできなかったから、教えるノリとしても、つまらなかっただろうなって思うんです。始めたばかりのころは分からなかったけど、今なら分かる。今みたいにある程度できて、こういう作戦をやってみようって楽しく感じるところまではまったく到達できていませんでしたから」
MMAの厳しさを教える意味があったのかもしれない。ただもう一つ、MMA挑戦表明からわずか1カ月半でのRIZINデビューが決まっていた。それも相手はいきなりシュートボクシング世界女子フライ級王者RENAだった。
「最初はその年の年末を目標にっていう話だったのに9月ですからね(笑)。それも強い選手と。いやいや、打撃もまだやってないんだから無理でしょ、と。ノリは私の知らないところで(RIZIN側と)戦ってくれていたみたいです。ただ最終的には、オファーされたら引き受けるものだっていうところに到達したみたいで。『大丈夫。レスリングで勝負すればいいから』って言われて、何か私も、ああ、大丈夫なんだって思うようになって。毎日いろいろ詰め込むだけ詰め込むから1日があっという間に終わる。気づいたら当日のリングに上がっていたみたいな感じでした」
セコンドにはKIDがついてくれていた。
試合はタックルで倒してレスリングで勝負に出ようとしたが、蹴りをアゴにもらってしまう。ここで意識が飛ばされたという。1ラウンド4分50秒、アームトライアングルチョークで敗れた。
KIDは泣いていた「自分が勝つよりもうれしい」
落ち込んでいる暇などなかった。
終わったら、次へ。
その後はKIDの提案で沖縄の平仲ボクシングスクールジムで打撃の練習を積んだ。自分の家族と弟の家族が移り住み、一日中猛トレーニングに励んだ。
結果が出たのは3戦目のキャシー・ロブ戦(2017年7月30日、さいたまスーパーアリーナ)。レスリングの技術と打撃の向上によって判定で初勝利を挙げた。ただセコンドにKIDはいなかった。