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41歳で他界した神の子・山本“KID”徳郁「姉としてはちょっと怖かったですね」山本美憂がいま明かす、2歳差・弟の“100%やる人生”
posted2022/08/28 17:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Sankei Shimbun
いつの世も格闘技の世界は、垣根を超えると爆発的な盛り上がりを呼ぶ。
6月に行なわれた「RISE」と「K-1」を代表するファイター、那須川天心と武尊の対決は、東京ドームに5万6000人を超える大観衆を集めた。この光景を目にしたとき、17年半前の熱狂をフラッシュバックさせた人も少なくなかったはずである。
2004年大みそか、場所は大阪ドーム。「立ち技」と「総合格闘技」の垣根を超えて魔裟斗と山本“KID”徳郁がぶつかった決戦は札止めとなる5万3000人の観客を集め、ライブ中継された地上波では「紅白歌合戦」の裏で30%を超える瞬間最高視聴率を叩き出すほどの反響があった。判定で敗れたとはいえ、K-1ルールを受け入れた男気も含め、KIDの株はジャンプアップした。
久しぶりの格闘技特集となったNumber1057号では那須川、武尊、朝倉兄弟ら人気ファイターを取り上げている。一方、2018年9月、胃がんによって41歳の若さで他界したKIDのノンフィクション記事を筆者が担当することになった。姉の山本美憂、対戦相手の須藤元気、弟子の堀口恭司と、各氏にはそれぞれの立場で語っていただいた。
山本美憂とのインタビューは予定時間を大幅に超えた。姉として、レスリング仲間として、そしてMMAでは弟子として。誌面で描き切れなかった「未公開部分」を中心にここに公開したい(全2回/#2へ)。
「一緒に服、買いに行こう」
姉は学年で2つ下の弟を「ノリ」と呼んだ。
まだ女子レスリングの種目がなかった時代。ミュンヘンオリンピック代表の父・郁榮から手ほどきを受け、レスリングを先に始めたのは弟のほうだった。まだ小学生にもなっていないのに一生懸命にやっている姿に触発されて、姉も小2から競技を始めることにした。弟ではあるものの、競技においては先輩。のちのち女子レスリング界の第一人者になっていくことができたのは父の指導のみならず、最高の模範が近くにいたからだった。
「今振り返っても子供のころから相当な練習量でしたね。父がかなりやらせていましたから。それでも辛そうな顔、嫌そうな顔を一切しないで、ポーカーフェイスでやり切る。顔は真っ赤でしたけどね(笑)。凄いなって思いながらいつも見ていました。弟の試合だけは真剣に見ていた記憶がありますね。タックルもそうですけど、いつもノリみたいなレスリングをやってみたいって何かヒントを得ようとしていました」
妹・聖子もあわせて普段からきょうだいの仲は良かった。自宅の大きい部屋のほうを姉と妹が使っていたが、気がつけばノリもそこにいた。
音楽、ファッションと共通の趣味も同じ。「一緒に服、買いに行こう」と弟から誘われ、ショッピングに出かけたこともある。
「レスリングを続けてほしいと父は思っていました」
格闘技好きも同じだった。ボクシングが好きでマイク・タイソン、ナジーム・ハメドの映像を一緒に見た。総合格闘技ならケン・シャムロック。自分が好きな選手を弟も好きになり、弟が好きな選手は、自分も好きになった。
格闘技好きも弟の影響?
そう尋ねると、姉は表情を崩して言った。