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41歳で他界した神の子・山本“KID”徳郁「姉としてはちょっと怖かったですね」山本美憂がいま明かす、2歳差・弟の“100%やる人生”
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/28 17:00
2004年大晦日の魔裟斗vs山本“KID”徳郁。最高視聴率は30%を超えた。Number最新号では姉の山本美憂らがKIDを語り尽くしている
KIDには迷うことなく行動に移せる実行力がある。それがうらやましくもあった。HERO’Sミドル級世界最強王者決定トーナメント決勝で須藤元気を破って優勝し、その後も同じくレスリングがバックボーンにあるシドニーオリンピック代表の宮田和幸に開始早々の飛び膝蹴りでKO勝ちするなど絶頂期にあったときに、レスリング復帰をぶち上げる。
美憂も驚くには驚いたが、弟の性格を分かっているだけにすぐに納得もできた。
「心にずっとレスリングのこと、オリンピックのことはあったんだと思います。四六時中レスリングをやっていく人のなかに入るわけですから、簡単なことじゃない。それでも挑戦を怖れず、やりたいことを100%頑張ろうとするのが弟なんだなってあらためて思いました」
MMAで試合を重ねればそれだけファイトマネーも入ってくる。だがKIDはカネよりもロマンを選んだ。
チャレンジしなければKIDじゃない。
リスクを考えたらKIDじゃない。
母校の山梨学院大で一日中、レスリング漬け。姉の目から見ても本気だった。
2007年1月、北京オリンピック代表選考会を兼ねた全日本選手権フリー60kg級でアテネ銅の井上謙二と2回戦でぶつかり、巻き投げを打たれた際に右ひじが逆方向に折れ曲がった。タトゥーを隠すためのテーピングによって腕が抜けにくかったことも、言い訳には一切しなかった。
美憂はこう振り返る。
「周りからもどうしてバンデージを巻いたんだっていう話はありましたよ。でも決めたのは本人だし、そのことを悔やんでいるわけでもない。100%やって終わったら次に切り替えればいいだけのこと。それも弟の考え方でした」
脱臼が長引いたことで結局は6月の全日本選抜に出場できず、北京オリンピックの道は閉ざされてしまった。ならば、とすぐにMMA復帰を決断する。
己の美学に、どこまでも真っ直ぐに。
どんなときも自分らしくあり続ける弟は姉にとっての誇りであった。
<続く>
山本“KID”徳郁(やまもと・キッド・のりふみ)
1977年3月15日、神奈川県生まれ。5歳でレスリングを始め、2000年に総合格闘技に転向。01年にプロデビュー。プロ修斗、K-1MAXで活躍。HERO’S 2005ミドル級王者に。その後、レスリング復帰やDREAM、UFCに参戦を果たした。18年9月、胃がんによって41歳で死去
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